The Leech Lover

※学パロ設定

放課後の学校、私は生物室にいた。
理由は単純、今日は生物研究部の活動日だからだ。

私のすぐ近くには生物研究部部長のマーカス君が座っている。尤も活動当初から部員はマーカス君と私の二人だけで部長なんて肩書きみたいなものだが。

マーカス君と私は今年学園を卒業する同級生だが、マーカス君は入学当初から有名人だった。登校初日からヒルを自分の肩に乗せてきたりと、色々な意味でヤバい人だったからだ。

だが、そういう奇行を除けばマーカス君は普通に、いや並々ならぬ美青年だった。スラリとした長身に肩まで伸ばされた栗色の髪、色素の薄い肌に碧い海を想わせる色の瞳。更には頭脳明晰で成績優秀、まさに非の打ちどころのない優等生だった。

だが彼は毎日「研究の一環」と称して授業中だろうと何だろうと、周囲の目などお構いなしにいつでもヒルを一、二匹自分の肩や腕に乗せている。

だからマーカス君がいくら美男子でも、寄り付こうとする女子はあまりいない。そしてマーカス君が学内一の優等生であるからか、彼がいつどこでヒルと過ごしていようと、教師達もマーカス君には何も言えないようだった。

秀才と呼ばれる人には奇抜なことをする人がいるように、マーカス君の奇行も凡人には理解できない高尚なものと見做されるようで、人の偏見とは何とも不思議なものだと思う。

そうした奇妙な形で指導者をも黙らせるマーカス君を、私は新手の不良だと思った。暴力沙汰のような問題を起こさないだけに厳しく注意することもできない、却って厄介な不良だ。

私は生物研究部に入部する以前は、マーカス君を不良、変態だと思っていた。密かにマーカス君の熱烈なファンもいるようだが、兎にも角にも、私は生物研究部にも変人のマーカス君にも興味はなかった。

私が今生物研究部に入部しているのは、ただ、成り行きでこうして入部することになったに過ぎない。

ある日私が生物室の前を歩いていると、一匹のヒルが廊下を這っていた。何故こんなところにヒルがいるのかと思ったが、ヒルと言えばすぐに思いついたのはマーカス君だった。

きっとこのヒルはマーカス君のヒルに違いない。どうしたものかと思いつつそのまま放置しておこうかと思ったが、普通ヒルは害虫として扱われる。マーカス君以外の誰かに見付かったら駆除されてしまうかも知れない。

害虫だろうと何だろうとヒルだって生きているのだ。そう思った私はポケットティッシュを取り出し、ティッシュの上からヒルを摘んで生物室に置いてあるマーカス君のヒル用飼育箱に戻しておいた。

だが、後で知ったのだがちょうどその場面をマーカス君が目撃していたらしい。そのときマーカス君は飼育箱からヒルが一匹いなくなっているのに気付き校内を必死に捜し回っていたそうで、遂に見付からず落胆して生物室を訪れたときに、ヒルを飼育箱に戻す私の姿を見止めたという。

後日マーカス君から直接お礼を言われた私は別に大したことはしていないと言ったのだがマーカス君は退かず、何故か突然生物研究部に入部してほしいと言ってきた。私は生物学の知識も何もないと言ってすぐに断ったが、マーカス君も引き下がらなかった。

その日からマーカス君の執拗な入部の勧誘が始まり、何度断っても諦めず食い下がってくる彼に滔々折れた私は生物研究部に入部することになったのだ。

マーカス君と私はクラスは違うので、顔を合わせるのは部活動の時間くらいだった。入部して三年が経ち、私達ももうすぐ学校を卒業する。つまり生物研究部の活動も終わるのだ。

思えば私は、今まで生物研究など部活動らしいことは一切してこなかった。強いてやったことと言えばマーカス君に試験勉強の対策をしてもらったり、宿題を一緒に解いてもらうくらいだった。それでもマーカス君は文句も何も言わず、ただ勉強を教えてくれた。そもそも私が入部しても何も活動しないことを承知で、それでも入部して欲しいと言ってきたのは彼だった。

何故そこまでして私に入部して欲しかったのか理由は未だに分からない。気になって入部当初に一度尋ねてみたものの、別に君を解剖したりしないから大丈夫などと奇妙なことを言われ、そのまま話を逸らされてしまった。

だから勝手に、もしかしたらマーカス君は変人だが義理堅い性格なのかも知れない、ヒルを助けた私に何か恩返しのようなことを彼なりにしたいと思って生物研究部に勧誘してきたのかも知れないなどと私は思うことにしていた。

「前から思っていたんだけど、マーカス君って某忍者漫画に出て来るキャラに似てる」

今日は勉強も何もすることがなかった私は、生物室の窓から見える夕暮れの空をぼんやり眺めながら、ふと思っていたことをマーカス君に言った。

「へえ、どこが似ているんだ?」

マーカス君も、今日は研究もせずヒルと戯れていた。恍惚とした表情で自分の指先に乗っているヒルを見詰めるマーカス君に最初はぞっとしたものだが、今ではもう見慣れた光景だった。

「その異常にヒルが好きなところ」
「……ということは、そのキャラもヒルが好きってこと?」

マーカス君はヒルを愛でる手を止めてこちらを見る。

「いいえ。彼の場合はナメクジ好きだけど」
「……そう。だったら僕とは違うね」

興味深そうに爛々としていたマーカス君の瞳から光が失せ、いつもの冷たい綺麗な碧色に戻る。

「ヒルのどこがそんなに好きなの?」
「どこがって全てだよ。特にこの無駄のないフォルムの美しさと言ったら、たまらないね……」

マーカス君はそう言ってうっとりヒルを見詰めている。

「ヒルもナメクジも同じようなものじゃないの?」

私が尋ねるとマーカス君は何も解っていないと言うように首を振る。

「同じ無脊椎動物だが種類は違う。ナメクジは殻が無い退化した貝類だ。ヒルは環形動物に属する生物でミミズやゴカイに近い。因みにコウガイビルというヒルはナメクジを食べる。だがコウガイビルはヒルと名が付いているが実際にはヒルでは無く扁形動物に属する生物で……」

マーカス君はヒルとナメクジの違いについて滔々と語り続ける。興味がなかった私は思わず欠伸をすると、マーカス君は眉間に皺を寄せた。

「おい。人が真剣に話している最中に欠伸なんて失礼じゃないのか?」
「ああ、ごめん。でも私にとってはヒルもナメクジも大差ないし、どうでもいいの」

私の言葉を聞いた途端、マーカス君の顔つきがさっと変わる。

「僕の説明を聞いておいてよくも……その言葉、ヒルを侮辱していると言っても過言じゃないな」

そう言うとマーカス君はガタリと静かに椅子から立ち上がった。

「別に侮辱するつもりなんて無いよ。ただ興味がないだけ」
「興味がない……?生物部に三年も一緒にいて……それは酷いだろう名前!」

ああ、また出た。マーカス君の神経質が。
大概のことには大らかなマーカス君だが、ヒルに関わることとなると途端に神経質になるのはいつものことだった。

「そんなにヒルが好きなら一人でヒルと遊んでいれば良いでしょう?そうやって怒るならもう辞めるよ」
「…………」

退部を引き合いに出すとマーカス君はそれ以上何も言うことはなかった。
脅しているようで良い気分はしないが、そもそもしつこく入部を勧めてきたのは彼なのであって、彼が辞めてしまえと言うならば私はそうしても構わないと思って今まで過ごしてきた。
だが、マーカス君は今まで一度も私に対して辞めろとは言わなかった。今だって自分の大切なヒルが侮辱されたと思っているのに、辞めてしまえとは言わない。

しかし、いつもならば悔しげこちらを睥睨するマーカス君だったが、今日は何故か不敵な笑みを浮かべていた。

「その常套句はもう通用しないぞ名前」
「はい?」
「何故なら今日は生物研究部の活動最終日だからだ!」

マーカス君はそう言って黒板の横にあるカレンダーを指差す。今日の日付の部分に赤い丸印があり、「生物研究部活動最終日」と記されていた。

「そんな!私一言も聞いてないんだけど!?」
「いいや君にはちゃんと報告した。僕のキャサリンがね。二週間前に」
「キャサリンって誰!?」
「君と僕が知り合うきっかけを作ってくれたヒルだよ」
「いや知らないし。というかアンタと違って私ヒルと会話できないから!」
「そんな筈はないね。君は僕が見込んだ素質ある人間だ。ヒルの声くらい集中すれば聞き取れる筈だ」
「ヒルの声って何?ヒルって話せるの?」
「ああ。真剣にヒルと向き合えば彼らは君の心に滑り込むように語り掛けて来る筈だよ……こう、スルっとヌメっとね。ヒルだけに」
「上手いこと言ったみたいな顔すんな!何も上手くないわ腹立つ!!」
「とにかく君が真剣にヒルの言葉を聞こうとしていないだけだよ。さあ目を閉じて、耳を澄ましてごらん」
「嫌です」
「全く、やる前から嫌だなんて食わず嫌いもほどほどにしたらどうなんだい。ほら、勇気を出してピーマンを食べた五歳のときを思い出してごらん」
「何で私が五歳のときに勇気を出してピーマン食べたこと知ってるの」
「今はそれはどうでもいい。良いからやってみるんだ」

何故マーカス君が私の幼少時のことを知っているのか。私にとっては一番重要なことをあっさりどうでもいいと言われたのには納得できなかったが、何だかそれ以上追及できる雰囲気ではなかった。

いつもの優しいマーカス君はどうしたのか、今日の彼は色々と強引だ。
マーカス君の目が冷酷な光を帯び、問答無用で「やれ」と言っている。やっぱり彼は優等生と見せかけて不良だったのか。

言われた通りにしないと何をされるか分からないので、私は仕方なく目を閉じた。だが、どんなに心を落ち着かせ耳を澄ませてもヒルの声なんて聞こえる筈もなかった。

すると突然、何か異様な音がした。

粘着質なその音は少しずつ、だが確実に押し寄せるようにこちらに近付いてくる。

得体の知れない異音に不安を感じて思わず目を開けると、目前には信じ難い光景が広がっていた。

マーカス君の飼育箱に入っていた数百匹のヒルが全て箱から抜け出し、まるで巨大な一匹の生物のように群れを成してこちらに向かって押し寄せてきている。不気味な音の正体は大量のヒルが床や壁を這う音だったのだ。

よく見るとヒルの大群の中心にいるマーカス君が私の方を指差していた。

「なっ……何してるの!?」

マーカス君は妙に冴え冴えとした笑みを浮かべている。

「何って?命令しているんだよ。君には大人しくなってもらおうと思ってね」

マーカス君がそう言う間にもヒルの群れはどんどんこちらに迫ってくる。

「ちょ……止めて!私ヒル触るのも無理なんだから!!」

マーカス君のおかげでヒルを見ることには慣れてしまったが、やっぱり触るのだけは無理だ。
そのとき私の靴にペタリ、と一匹のヒルが纏わり付く。

「ひっ……!!」
「良いね……その恐怖に歪む顔。最高だよ名前」
「おい、ふざけるな変態!!」

変態と罵られても相変わらずマーカス君は笑みを浮かべているだけだった。

「ヒルに捕らわれた名前……何て美しい光景なんだ」

マーカス君は恍惚とした表情でこちらを見ながら一歩、また一歩とこちらに近付いてくる。
あっという間にヒルの大群に四方を塞がれ逃げ場を失った私の腕や足に容赦なくヒルが纏わり付き、身動きが取れなくなった私の顎にふとマーカス君が手を掛ける。

「大丈夫。彼らには君を吸血しないよう言ってあるからね」

やがて完全にマーカス君と私を取り囲むように、生物室はヒルの大群で埋め尽くされてしまった。

マーカス君の氷のように碧い瞳が、欄々として私の目を覗き込む。

「名前。僕はね、ずっとこの瞬間を待ち望んでいたんだよ」

そう話すマーカス君の声は歓喜に満ちていた。それはまるで実験が成功したときのように満足げなものだった。

「彼らも僕達が結ばれることを祝福しているよ」

マーカス君の怖ろしくも美しい笑顔が近付いてくる。
目を瞑った瞬間、唇にヒルのように冷たい感触と「おめでとう」という無数の声のようなものを聞いた気がした。

―――――

(今度ヒルを馬鹿にするようなことを言ったら、今日みたいにヒル縛りするから)
(何なのヒル縛りって。変な名称付けないで。というか私達卒業したら進路は別々だし、もう会わないよね?)

(何言ってるんだ?卒業したら君は僕と結婚するんだよ)
(……は!?)

(実は君のお父様とお母様にももうお会いして話は着いてるんだ。君のご両親にも結婚の許可はいただいている)
(え……?は、ちょ……話が見えない)

(僕の両親はもう他界してるしね。良かったね名前。君は嫁姑問題とは無縁だよ)
(いや、そういう問題じゃなくて、その……私の両親は何て言ったの?)

(君みたいな優秀でしっかりした人なら安心して娘を嫁がせられるって言っていたよ。名前、二人で幸せな家庭を築こう!)
(……こ、これは夢……これは夢……)

(おや?名前、何で泣いているの!?そんなに嬉し……)
(……んな訳あるか!!)

(痛っ!!ちょ、何するんだ殴るなよ!!ヒル縛りされたいのか!!)
(だから何それ!!……ああーもうこの変態が!!)

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