「昨日のお返しだよ」
そう言って淳が何の前触れもなく恭也を撃ち落としたとき、時が止まったような感覚がした。淳は卑怯というか、利己主義で手段を選ばないところがあるのは知っていたが、まさかここまでするとは思ってもいなかった。
淳に撃たれた恭也は平衡を失い、折悪しく側にあった崖から転落した。
「いやあああああッ!!」
一瞬の出来事に、恭也の側に居た美耶子が絶叫を上げながら頭を抱え、その場に蹲る。その叫び声で私は我に返った。
「ちょっと……淳!!」
淳の隣に立っていた私は、彼が手にしている猟銃を掴んだ。
「あなた、いきなり何てことを!!」
数時間前―
羽生蛇村出身の私は、学校の夏休みを利用して久しぶりに村へ帰省した。だが村に入った瞬間に違和感を感じた私は、取り敢えず村内の実家へ向かうことにした。
しかし実家へ帰る為にいつも通っていた道を歩いていると、途中で見た事もない場所に行き着いたり、引き返したりしている内に、次第に私は自分がどこに居るのか分からなくなってしまった。
「一体どうなってるの……」
このまま彷徨っていても仕方がないと思い、一度立ち止まって辺りを見回してみると、近くで水の流れる音がする。
あれは羽生蛇村の中心を流れている眞魚川の川音だろう。川に沿って歩けば、自分が今、村のどこにいるのか大体見当が付くかも知れない。
そう思った私はその音を頼りに歩いていく。すると、その途中で私の歩いている道の反対側から誰かが歩いて来るのが見えた。
その日村で初めて人を見掛けた事に安堵した私は、その人影に近付いた。すると相手も私の気配に気付いたらしく、こちらに歩いて来る。距離が縮まり、お互いの姿を認識した途端、相手も私もほぼ同時に足を止めた。私の前に立っていたのは神代淳だった。
久し振りに顔を合わせた為か、彼は驚いたような表情で私を見た後、挨拶もそこそこに突然自分の家族の美耶子と余所者の男を探しているので、一緒に捜索をして欲しいと言う。
淳は村の権力者である神代家の次代当主になる為、神代家に婿入りした青年だ。歳は近いが一介の村人に過ぎない私とは縁遠い存在の筈なのに、何故か昔から姿を見掛けると彼の方から私に話し掛けて来た。
初めの内、私は他の村人達と同じように彼の事を『淳様』と呼び、敬語で接していたのだが、本人はそれを嫌がるので、私は次第に友人に話すような態度で彼に接するようになっていった。
だが内心、どれほど打ち解けても私は彼の事が余り好きにはなれなかった。お坊ちゃま気質なのか我が儘で傲慢、自分の思い通りにならないと苛立つ短気な性格の彼の側に居ると、こちらが疲れてしまうからだ。
「悪いんだけど、私実家に帰る途中なの。一旦家に帰ったら、その後に捜すのを手伝っても良いけど」
別に人捜しをするのが嫌な訳ではないのだが、淳と一緒に行動する事に何となく気が引けた私はやんわり断りを入れる。だが淳は私の言葉など意にも介さない様子で、しれっとした顔で答えた。
「お前の家はこの道を真っ直ぐ行ったところにあるだろうが、今は辿り着けないと思うぞ」
淳は自分の背後に続いている道を振り返ってそう言った。
「……それって、どういう意味?」
淳の言っている言葉の意味が分からず、私は尋ねる。
「お前も気付いているだろうが、この村はいつもと様子が違う」
淳の言う通り、確かに村の様子がおかしい。異様に人気も無く、所々建物や道路の位置まで変わっている。
「……一体何があったの?もしかして私のいない間に、災害でもあったの?」
淳は私の問いに答えなかったが、彼の表情には珍しく辛辣なものが滲んでいた。
私は以前、今から二十七年前にこの村で土砂災害があった事を両親から聞いたことがある。村は土砂に埋もれ、家屋は倒壊し、死傷者も多く出たことから村は壊滅状態だったという。
「……村の様子がおかしくなったのは、さっき俺が言った余所者の男が関係している。そいつは突然現れて、儀式の邪魔をしたんだ」
「儀式って……眞魚教の?」
「ああ、そうだ」
羽生蛇村には眞魚教という固有の土着信仰があり、「堕辰子」という独自の神を崇拝している。村の教会では、決まった曜日に神に仕える求道師と求道女を中心に、神に信仰を示す集会や儀式が行われている。
そして何年かに一度、特別な儀式を行うそうだが、それは村の中枢を担う権力者たちのみで行われ、他の村人はその儀式に参加する事も、儀式の内容について尋ねる事も一切禁じられている。
だが淳の言う『余所者の男』が儀式を邪魔した事が、何故村の異変と関係があるのだろうか?神代の縁者である淳も儀式に参加している筈だが、その疑問を尋ねても、村の掟通り淳は答えてくれなかった。
「お前もこんなところで武器も持たず、一人で歩いていたら危険だ」
「……武器?」
よく見ると、淳は背中に猟銃を背負っていた。
「ちょっと、そんなもの持ち歩いて一体どういうこと?」
無免許で銃を所持、携帯することは銃刀法違反だ。まして淳はまだ未成年。もし都会でそんな格好で歩いていたら、間違いなく逮捕される。
「非常事態だから仕様がない。今この村は、何があってもおかしくない状況なんだ」
「……別に、淳に守ってもらわなくても結構よ」
さっきから人の話を所々無視し、肝心な事には答えず、自分の言いたい事ばかり話す淳に嫌気が差し始めていた私は、他の道を探すべく踵を返す。だが、淳が私の腕を掴んだ。
「……何?」
「まあ待てよ。俺が捜している余所者は須田恭也という名前らしい。確か、お前の知り合いじゃなかったか?」
「……須田、恭也?」
私は羽生蛇村外の学校へ通っているのだが、同じクラスの同級生に須田恭也という男子がいる。オカルト好きな風変わりな子で、その手の話が嫌いではない私は、彼と隣の席ということもあって普段からよく話していた。
「それは本当?」
「ああ。さっき、そいつの学生証を拾った」
そう言って淳はズボンのポケットから黒いパスケースを取り出し、私に手渡した。少し土で汚れているそれを受け取ると、中には学生証が挟まっていて、見覚えのある顔写真の横にはっきり「須田恭也」という名が記されていた。
「恭也がどうしてこの村に……」
「……フン、さあな。とにかく見付けて理由を問い質すしかないだろう?」
淳は恭也の名を聞くと忌々しげに顔を歪め、吐き捨てるように言う。
「……仕方ないわね」
そうして、私は嫌々ながら淳と行動を共にする事になった。
―――――
「あなた、いきなり何てことを!!」
恭也を平然と撃ち落とした淳は私に詰問されても平然としており、剰え嘲笑すら浮かべた。
「何をそんなに怒っているんだ?この村はあいつの所為でおかしくなったんだ。赦される訳がない。それに……あいつは死なないさ」
淳は意味深な言葉を呟くと、猟銃を掴む私の手を振り払い、蹲っている美耶子の方へ歩き出す。
「美耶子、お前が居ないと儀式の続きを始められないだろう?さあ、行こう」
淳は美耶子の腕を掴み、強引に引っ張る。
「やめろ、離せ!!」
美耶子は必死に抵抗するが淳の力に敵う筈もなく、そのままずるずると引き摺られていく。
「待ちなさいよ!!」
私は美耶子を掴んでいる淳の腕と反対側の腕を掴んだ。
「淳、美耶子をどうするつもり?……儀式の続きってどういうこと?」
淳の言葉に疑問を感じた私は尋ねる。私は神代家の人間ではないので儀式についての仔細は分からないが、それでもやたら儀式に拘泥する淳の言動は何となく異様に思えた。
儀式とはそれ程重要なものなのか。それに今、美耶子が淳を拒む姿にも尋常でないものを感じる。
「名前……その声は、名前?」
見えない目の代わりに必死に周辺の音を聞き取ろうとしているのか、美耶子が私の方を振り返る。途端、美耶子がはっと目を見開き、私の方を凝視する。
「名前……嫌だ、私は死にたくない!!」
美耶子が淳の手を思い切り振り払って、躓きそうになりながら必死に私の方へ走って来る。
「美耶子、こっちよ!」
私はおろおろと宙を彷徨う美耶子の手をしっかり掴んだ。
村で暮らしていた頃、淳から美耶子の境遇を知らされていた私は、時々神代家の屋敷から出る事を許されない彼女の身を想って、村に住んでいる晴海ちゃんという小学生の女の子と三人で神代家へ遊びに行くことがあった。
本当は神代家に無関係な人間が屋敷に出入りするのは禁止されているが、日時と時間を淳宛てに手紙で伝えておくと、淳がこっそり屋敷の裏口から入れてくれる手筈になっていた。彼が何を思ってそういう手助けをしてくれていたのか深く考えたことはない。ただ、義理の妹になる美耶子の身を彼なりに案じているのだろう程度に思っていた。
美耶子を私に奪われた淳は、狼狽する素振りは欠片も見せなかった。それどころか未だに人を小馬鹿にしたような嘲笑を浮かべている。片や丸腰の女二人。自分は銃まで所持している。力の優劣が決定している事が彼に余裕を与えていた。
「無駄な抵抗は止めておけよ。大人しく美耶子を僕に渡せ。美耶子は儀式に欠かせない存在なんだ。このまま俺が教会へ連れて行く」
そう言いながら淳は距離を詰めるよう、じりじりとこちらに歩み寄って来る。私は美耶子を庇うよう自分の背に隠した。これほど嫌がっている美耶子を無理矢理連れて行ってまで儀式を行おうとする理由は一体何なのか?
「……さあ、美耶子を渡せ!」
君主のような態度で目の前に立ち塞がった淳を、私は睨み返す。
「淳、私の質問に答えてよ。儀式って一体何なの?」
私の問いを聞くと、淳は何も答えずただ私を睨む。
「これは村の権威に関わる問題だ。お前には関係ない」
「……どうあっても教える気は無いみたいね。でも、美耶子は嫌がっているじゃない」
私の背中に縋っている美耶子をふと振り返ると、彼女は物凄い眼差しで、私の肩口の辺りから淳を睨みつけていた。
やはり、何かがおかしい。美耶子の脅え様は、まるで命を狙われているかのようだった。
儀式、命の危機、村の一部の人間しか知らない――
ふと、嫌な予感が閃いた。
美耶子はさっき、「私は死にたくない」と言っていた。
まさか美耶子に、本当に命の危険が迫っているのではないのか?
「まさか……」
私はその予感を信じたくはないし、信じられそうにもなかった。
真実を淳が教えてくれないなら美耶子に訊くしかないが、例え信じられないことでも、とても美耶子に訊けることではなかった。
「名前、美耶子を僕に渡せ!」
いい加減痺れを切らしたのか、淳は手にしている猟銃を私に向けて強行手段を取り始めた。
「美耶子。大人しく俺の言うことに従わないと、名前もあの余所者と同じ目に遭うが、それでも良いのか?」
私の背後で、美耶子がハッと息を呑む声がした。
「やめろ……名前は何も関係ない!」
「美耶子……?」
美耶子は悔しそうに嗚咽を漏らし泣き始めると、私の背に隠れるのを止めて淳の方へ歩いて行く。美耶子は足手纏いになるまいと、私の側を離れようとした。
「そうだ。美耶子……それで良い」
私に猟銃を向けたまま、まるでどこか愉悦に満ちた淳の顔を見た瞬間、私の内で抑えきれない感情が爆発した。
私は美耶子を追い越して足早に淳の元まで歩み寄る。そして、軽蔑の念を込めてその頬を平手で打った。
パン、と乾いた音が辺りに響き渡る。その場の空気が一瞬にして凍り付くような感覚がした。
淳は暫く呆然としていたが、徐に叩かれた左頬に触れる。
「俺に手を上げるとは、良い度胸じゃないか……」
淳はそう言って冷酷な眼差しで私を見下ろす。
「たかが一介の村人風情で俺に無礼をはたらくとは……だが、お前のそういう気の強いところは昔からだからな」
淳の事だから激昂して私を射殺するかと思ったが、彼は怒るどころかきつい眼差しで私を睥睨しただけだった。その瞳の中には彼の執念深さが色濃く映っていた。淳は何をどうしようとここから引き下がるつもりがない事をその目が語っていた。
私は側に居た美耶子の手を取り、彼女に向かってひっそり耳打ちした。「私が隙を作るから、その内に出来る限り逃げろ」と。美耶子は少し躊躇っていたが、「二人同時に逃げるのは無理。こうするしかない」と言うと、渋々頷いた。
「おい、何をコソコソと話しているんだ?」
淳が苛立った調子で言葉をぶつけてくる。私は淳から顔を背け、恭也が落ちた崖の方角を見た。
「……名前?」
私は淳の声を無視して崖の方まで歩き、そのまま断崖の側に打ち立てられている防護柵に手を掛けた。
「おい!つまらないことを考えるなよ。まさかお前……そこから飛び降りる気じゃないだろうな?」
嫌な予感を感じたらしい淳が私に向かってそう言うが、私は何も答えずに崖の下を見下ろした。そこには眞魚川が流れていた。が、その川を見た瞬間、私はぎょっとした。普段は美しく澄んでいた筈の川が血のように赤い色をして轟々と流れていた。
恭也は、こんな恐ろしい川に落ちたというのか。どこまで流れて行ったか分からないが、すぐ助けなければ死んでしまう。
「聞いているのか名前!」
背後から淳が歩いてくる気配がした。淳が私を制止しようとしたのか、一瞬彼の手と私の手が触れ合ったが、それは掠れるだけで結ばれることはなかった。
「名前!!」
「名前……名前!!」
背後から淳と美耶子の声がしたのと、私が防護柵を飛び越えて崖下に飛び降りたのはほぼ同時だった。