絶海に漂白するゴーストシップ「クイーン・ゼノビア号」。その船へ向かって、荒れた海を切り裂くように一艇のモーターボートが近づいていた。ボートにはT-ABYSSサンプル回収の任務にやってきた隊長ハンクと部下名前、ベクターが乗船している。
ベクターはかつてロックフォート島でハンクと訓練をしていたことから師弟関係にあり、アンブレラ倒産前はU.S.S.デルタチームに所属していた。ラクーンシティ事件では、G-ウィルスサンプルの回収任務にハンクと参加していた経歴の持ち主でもある。
アンブレラ倒産後、ベクターは世界中で起こっている戦場で転戦し、主に偵察兵として活動しているという。つまり、名前からしてみればベクターは先輩に当たる人物だった。
「ベクターさん!今日はよろしくお願いします!!」
「ああ……」
名前に挨拶されたベクターは銃の手入れをする手を止めて名前に返事はしたものの、すぐに手元に目を戻す。ベクターはストイックな性格で、自分が認めた相手以外には心を開かない。その態度は戦場だけでなく、普段の対人関係にしてもそうだった。
ベクターはまだ名前のことをよく知らないためか、興味がなさそうに名前に話しかけることもなく武具の手入れをしている。ベクターのそういう性格を知らない名前は、何故素っ気ない態度を取られるのか分からず、ベクターを不思議そうに見ていた。
「意外だ。マスターがこういう……子供のような女を部下にするとは……」
「……なっ!!」
ベクターが呟いた言葉を聞いてしまった名前は思わず声を上げる。
「ちょっと、私は子供じゃないです!!」
「ほう。では、それはこれから証明してもらおうか」
ベクターはそう言って悪びれることもなく、名前に手入れを済ませた銃を渡してくる。つまり、使える人間であることを見せてみろということらしい。
「わっ、分かりましたよ!!」
「フン……随分威勢が良いな」
「おい。二人ともいい加減にしないか」
ボートを運転していたハンクがそう言って船を停泊させる。隊長のハンクに注意された名前とベクターは口を噤んだ。
気付けば、既に目的地のクイーン・ゼノビア号に到着している。
「口を動かしていないで、さっさと準備を済ませろ」
ハンクに注意され、ボートの中で各々黙ったまま武装している間、名前はテキパキと準備するベクターをちらっと睨みつける。たしかに自分はハンクやベクターには兵士としての戦闘スキルは及ばないだろう。だが、それにしても初対面で何と失礼な人だろうと名前は思っていた。
「準備は良いか?」
武装・弾薬の確認を済ませてボートからゼノビア号へ乗り移ったハンクは、名前とベクターに声を掛ける。
「ええ。マスター」
「私も大丈夫です」
ハンクの両脇に、同じく準備を終えた名前とベクターが並んだ。
「よし、行くぞ!」
ハンクの合図で三人はゼノビア号に突入した。三人が船内に入ると、獲物を待ち受けていたかの如くウーズ達が何処からともなく現れ、名前達に襲い掛かってくる。
次々と現れるウーズを、ハンクはマシンガンと手榴弾、ベクターはマグナムとマーシャルアーツ、名前はショットガンとライフルを駆使して各個撃破していった。
「名前、ベクター。次のフロアへ向かうぞ」
敵が落とした鍵を拾ったハンクは、名前とベクターにエレベーターへ乗るよう指示する。すぐにハンク達はエレベーターに乗り込み、次のフロアへ向かった。
「なかなかやるようだな」
エレベーターで移動する間、ベクターが名前にそう言った。どうやら少しは使える人間と判断されたらしい。
「あ、ありがとうございます……」
「足手纏いにはならなさそうで、安心した」
「……何ですって!」
ベクターの言葉に馬鹿にされているような感じを受けた名前は、ベクターに言い返す。
「さっきから失礼じゃないですか?女だからって馬鹿にしないでください!」
「私は性別で人を差別しない。有能か無能か、任務においてはその判断が重要だ」
「でも、さっきの言い方はあんまりじゃないですか!」
「気を悪くさせたなら済まない」
「…………」
すんなり謝られてしまったので、名前はそれ以上何も言えなくなる。だが、例えベクターに馬鹿にしているつもりはなくても、名前からすればベクターの率直で淡白な物言いは、何だか見下されているようにしか聞こえない。しかしベクターは自分より明らかに射撃・体術のスキルも優れており先輩でもある訳で、余り名前も言い返すことができなかった。
「すまないな、名前。ベクターは不器用な男なんだ」
「隊長……」
「マスター、私はただ任務においては冷静な判断が必要だと……」
「そういうところが不器用だと言っているんだ。ベクター、後輩にはもう少し優しくしてやれ」
流石にハンクもベクターの言い分はきついと感じたのか、チームワークに関わると思ったのか、ベクターにそう声を掛けた。ベクターはハンクの忠告に納得できない様子だったが、もうそれ以上名前には何も言わなかった。
エレベーターが到着して外へ出ると、そこは食堂があるフロアだった。三人は食堂へ続く扉の前に貼り付く。
「準備は良いな」
ハンクの掛け声に名前とベクターは頷く。それを合図に、ハンクは食堂へ続く扉を勢いよく開けた。ハンクを先頭に食堂へ突入すると、すぐにウーズ達が発生して襲い掛かってくる。ハンク達は先程と同じように、三者三様の戦い方で次々とウーズを倒していった。
三人に悉く倒され、やがて大量発生したウーズの数も少なくなってくる。すると、暫くしてウーズとは違う巨大な姿をした化け物、スキャグデッドが現れた。
「三人で協力して倒すぞ!」
ハンクの指示に従い、名前達は協力してスキャグデッドの注意を逸らしつつ、徐々にダメージを与えていった。
そうして三人で集中攻撃を続けていると、スキャグデッドの体力が減ってきたのか、次第にスキャグデッドが暴走し始める。興奮しきったスキャグデッドはダメージを与えられても怯まず、そのとき近くにいた名前の方へ突撃してきた。
「なっ……!?」
名前は急いでスキャグデッドから距離を置こうと後退したが、その間に名前を目掛けて、スキャグデッドのチェーンソーのように変異した右腕が襲い掛かる。間合いを詰められた名前は避けられないと死を覚悟した。
そのとき、凄まじい速さで誰かが名前とスキャグデッドの間に割って入り、名前は後方に突き飛ばされる。
「!?」
後方に倒れた名前が起き上がり見たのは、銃を構えるベクターの姿だった。よく見るとベクターの腕の辺りから血が滲んでいる。それは今、スキャグデッドの攻撃で負傷したものだった。
「くっ……」
ベクターは腕の痛みを堪え、構えた銃を撃つ。ベクターが撃ったマグナムの弾丸を間近に受けてスキャグデッドも怯み、その場に膝を突いた。その隙にベクターはスキャグデッドから離れる。
「ベクターさん!」
「私に構うな。早くアイツを……」
ベクターは何でもないような態度をしているが、その間にも腕の傷口からは血が流れ、スーツに滲んでいく。異常に気付いたハンクがベクター達の元へ駆けつける。
「私が残りの敵を殲滅する。名前はベクターの手当てを頼む」
「分かりました」
ベクターの傷の具合を見たハンクは名前に指示を出すと、再び暴走し始めたスキャグデッドを陽動するよう動き周り、ベクター達から注意を逸らす。その間に名前はすぐベクターを治療しようと、壁にもたれるベクターの腕に触れた。
その瞬間、ベクターは治療しようとする名前の腕を掴む。
「俺に触るな!」
ベクターはそう言って名前の腕を振り払う。
「必要ない。自分でやる」
ベクターは言いながら、自分の救急箱から出した薬や包帯を出し始める。
一瞬ベクターの気迫に固まってしまった名前だったが、ベクターが自分で怪我を治療しようとする姿を見て、再びベクターの腕を掴んだ。
「なっ……!」
名前は無言でベクターが出した救急箱から薬を取り、傷の治療を始める。
「おい、お前!」
「大人しくしていてください」
名前はそう言いながらベクターの傷を手当てしていく。テキパキと半ば強引に治療を始める名前に気圧され、ベクターも動くことができない。
「何のつもりだ」
「弱者には、死あるのみ」という信条を持つベクターは、名前が自分を助ける意味が理解できない。また自他共に厳しく、自分の身は自分で守るという考えを持つベクターにとって、人に助けられることは自分の信条に反することでもあった。
「助けてもらった人をそのままにしておくことなんてできません」
「私はお前を助けたつもりはない。お前があの場にいたのが邪魔だっただけだ」
「そうだとしても、ベクターさんのおかげで私が助かったのは事実です」
そう言っている間に名前はベクターの手当てを終えてしまう。
名前はすぐに救急箱を片付けると安全な場所に隠れていてくださいとベクターに言って、ハンクの掩護に向かった。
「…………」
ハンクの元へ走り去る名前の後ろ姿を、ベクターは呆然と見ていた。
食堂でスキャグデッドを倒したハンクと名前は、ベクターを連れて最終地点の船首甲板に辿り着く。甲板に辿り着く頃には、ベクターも全快とまではいかないが調子を取り戻していた。
甲板にはT-ABYSSサンプル回収のターゲットであるジャック・ノーマンと、船内に残っていたウーズやハンター達が待ち受けていた。
甲板に大量の強敵が発生する中、ハンクがノーマンやレイチェルなどの強敵に当たり、名前とベクターがハンクを掩護しつつ、ウーズやハンターを殲滅するチームワークを取る。
任務の最終地点で装備も残り少ない中、三人は使う武器を考慮しながら敵を倒し続ける。
そして、最終的に残ったのは強敵のノーマンだった。
「ノーマンは幻覚の霧を吐き出す。背後を取られないよう注意しろ!」
ノーマンは近づく者に幻覚を見せている間、瞬間移動したかのようにターゲットの死角へ回り込む能力を持っている。戦いながらその特性に気付いていたハンクは、名前とベクターに忠告した。
名前達は背後を取られないよう、そしてノーマンが狙うターゲットを攪乱させるために甲板の上を俊敏に動き回る。ノーマンが背後に回ったときは走り抜けて距離を置くか、振り返って弱点の心臓を打ち抜けば大ダメージを与えられる。段々とノーマンの弱点が掴めてきた三人はノーマンの瞬間移動をかわしながら、隙を見てはダメージを与えていった。
ふと、ノーマンがベクターの背後に移動したとき、それに気付いたベクターは背後を振り返る。ノーマンの心臓に向けてベクターが銃を構えたそのとき、食堂でスキャグデッドに攻撃された傷が痛み、ほんの一瞬の隙が生まれた。
「くっ……!」
咄嗟に振り下ろされるノーマンの巨大な腕を何とかかわしたベクターだったが、いつもより自分の動きが鈍くなっていることにベクターは気付いた。
「ベクターさん!!」
名前とハンクがベクターから意識を逸らすため、ノーマンの背中にある弱点の腫瘍を攻撃する。一気にダメージを受けたノーマンは怯んで霧の中に姿を消した。
「ベクター、辛いなら後は私と名前で対処する。お前は退避していろ」
「ここまで来て、引き下がってたまるか……!」
自分はまだ戦える。それにハンクはともかく、ベクターからすれば半人前である名前に守られるなど、兵士としてのプライドが許さなかった。
「無理はしないでください、ベクターさん!」
「無理などしていない。お前は自分のことに集中しろ!」
名前に心配されるなど御免とばかりベクターがそう言ったとき、名前の背後にノーマンが回り込んでいた。
「後ろ!!」
ベクターは名前に言いながら、ノーマンの頭にマグナムを撃ち込んで怯ませる。
「私に構うな。戦いに意識を向けろ!」
もしここで死んだとしても、それは傭兵になったときから覚悟はしている。それに、自分の限界を見極められない訳ではない。
図らずも再びベクターに助けられてしまった名前は、自分がベクターを気に掛ければ却って迷惑になると思ったのか、それ以上何も言わずに戦った。
ベクターを守ろうとする意志でハンクと名前の士気も上がり、自然とチームワークも高まっていく。意気揚々と戦う三人に追い詰められたノーマンは、やがてスキャグデッドのように暴走を始めた。
余裕がない状態は無駄な動きが増え、最も隙が生まれる瞬間だった。ベクターはスーツポケットから数本のナイフを取り出し、暴れるノーマンが疲弊する隙に狙いを定めてナイフを放っていく。ナイフは脳天、心臓、背中の腫瘍など致命傷となる位置に突き刺さり、急所を突かれたノーマンは雄叫びを上げてその場に倒れた。
「ベクター、流石だな!」
ハンクは正確に的を射たベクターのナイフスキルを称賛し、銃を構えたまま倒れたノーマンに近づく。ノーマンが死んでいることを確認したハンクは、ノーマンの体組織からT-ABYSSウィルスの回収に成功した。
「今回も任務成功ですね!!」
ハンクがジュラルミンケースにT-ABYSSサンプルを仕舞い終えると、名前は今までの真剣な表情はどこへやら、甲板の上で嬉しそうに飛び回った。
「……暢気な女だ」
名前の姿を見たベクターは呆れたように言う。
「マスター。あの女がマスターの部下とは、やはり納得できない。あの態度、不謹慎では?」
ベクターにそう言われたハンクは、腕組みしながら名前を遠目に見ている。
「ああ、いつも注意はしている。だが……あれは性格なようで直る気配がない」
ベクターは今までの戦いの中で、名前はハンクの部下であるのだから、何か一つでも認められるところがあるのではないかと思っていた。だが、ベクターからすれば名前はまだ未熟であるにも関わらず他人を心配したり、まだ任務も終わった訳ではないのにサンプル回収に成功しただけで浮ついた態度を取ったりと、それらはベクターのプロ意識からしてとても許せるものではなかった。
「困ったものだ。普段はあれが名前の良い面でもあるが……」
「公私混同など、任務中に許されるものではない」
ベクターがそう厳しい言葉を吐き捨てたとき、突然足元がガクンと揺れる感覚がした。
「マスター、今のは……」
すぐに異変に気付いたハンクとベクターは顔を見合わせる。
「名前、いつまでもはしゃいでいるな!無事に帰還するまでが任務だと言っているだろう」
「はっ……はい!すみません!!」
嫌な予感を感じたハンクは名前を呼び寄せると、すぐに三人は船内まで引き返した。
「隊長!これは……」
船首甲板から船内に引き返すと、そこは既に火の海に包まれていた。
「走れ!!」
ハンクに続き、名前とベクターは火の粉が飛び交う廊下を一目散に駆け抜ける。
「どうして船に火が……!?」
突然の火事に訳が分からず、名前は走りながら燃え盛る船内を見回す。
「この船は元々客船だったが、廃船後はノーマン率いるテロ組織、ヴェルトロのアジトとして使われていた。爆発物が仕掛けられていた可能性がある」
名前の隣を走るベクターがそう言った。ベクターの言葉を聞いたハンクが「ああ」と頷く。
「恐らくノーマンを倒したことで、アジトに残された証拠隠滅の爆破装置が作動したか、ノーマンと敵対する組織によって、いずれ船が沈没するよう仕掛けられていたのだろう」
「そんな……どちらにしても、早く突破口を見つけましょう!」
モーターボートまで引き返す最短ルートを電子マップで確認し、まだ火の手が回っていない通路を探して三人は脱出を急ぐ。
そして停泊していたボートまで続く廊下を駆け抜けていたとき、ふと頭上からギギ、と鉄骨が軋む音がしたことに気付いたベクターは上を見上げる。
「危ない!!」
「!?」
ベクターが声を上げるのとほぼ同時に、ガシャアン!!と叩きつけるように瓦礫が崩れる音が響いた。咄嗟に瓦礫を避けたことで近くにいた名前とベクターは無事だったが、ハンク、名前とベクターを遮るように瓦礫が倒れたことで、ベクターが先に進めなくなった。
「ベクター!」
「ベクターさん!大丈夫ですか!?」
瓦礫の隙間からベクターに向かってハンクと名前は声を掛ける。
「……ああ、無事だ。私は別の出口を探す。先へ進んでくれ!」
ベクターはそう言っているが、ベクターの背後にはもう火の海が迫っている。このままではベクターは助からないだろう。
ベクターは先にハンクと名前を逃がし、自分は死ぬつもりなのだとハンクは察したが、まだ瓦礫をどかせばベクターを助けられる可能性はある。
だがベクターを救助している間に火に囲まれれば、名前や自分の命も危ない。任務は失敗、部隊も全滅、それだけは避けねばならない。
成果と人命、どちらを取るかの判断をハンクは迫られていた。
「……名前、お前は先にボートまで引き返せ」
「えっ!?」
ハンクに突然そう言われた名前は、信じられないような顔でハンクを見た。
「サンプルはお前に任せる。帰還ルートはこれを見て確認しろ」
ハンクはそう言って名前にサンプルが入ったジュラルミンケースと、ボートまでの最短ルートが示されているゼノビア号の電子マップを渡す。
「私はベクターを救出する。お前は一刻も早くサンプルを持って脱出するんだ」
ハンクは名前にそう言うと、すぐに瓦礫を撤去し始める。名前は今までベクターに助けられたこともあり、自分もここに残ってベクターの救助を手伝いたかった。だが、隊長ハンクの命令を聞かない訳にもいかない。
それでも……。
「名前、何をしている!?」
名前はそのままハンクの隣で、ベクターの前方を阻む瓦礫をバラバラとどかし始める。ベクターのすぐ背後にはもう火の手が迫っていた。
「三人でこれをどかさなければ、もうベクターさんを助けられません!」
名前もまた、このままハンクとベクターを置いていけば、二人とも助からないと考えていた。
「私達の任務はサンプルを無事に回収することだ。優先事項を忘れるな!」
ハンクはそう言って名前の手を掴み、瓦礫をどかす作業を止めさせる。
「名前、落ち着くんだ。お前の気持ちは分かる。だが、ここで三人とも死ぬ訳にはいかない。お前はここまで私達がやってきたことを無にするつもりか?」
ハンクにそう諭されて、突然のトラブルに興奮状態だった名前もハッとした顔つきになる。そして今回の任務の全てが今、自分に託されているのだとやっと気付いた。
「……っ」
こうしている間にも船内は轟々と火に包まれ、瓦礫が次々と天井から崩れ落ちてくる。迷っている時間はなかった。
名前は何かを堪えるように歯を噛み締めながら立ち上がった。
「……分かりました。先にボートで待っています!」
名前はそのまま踵を返し、ジュラルミンケースを持って走り出す。
「あと五分で戻らなかったら、そのまま一人で帰還しろ!」
「……っ、了解!!」
背後から聞こえたハンクの言葉に、名前は涙を堪えてボートまで先を急いだ。