The Ghost Ship2

その後名前は何とか火の手を避けて、崩れ始める船内から脱出できた。
名前はすぐに停めてあったモーターボートに乗り込み、早くハンクとベクターの姿が見えないかとハラハラしながら待ち続けていた。

「いけない。冷静にならないといけないのに……」

いつもハンクに注意されるというのに、気付くと自分は慌てたり、油断する行動を取ってしまう。こういうところが未熟だと、初対面のベクターにも見透かされていたのだろう。
時計を見ると、名前がボートに到着してから既に三分が経過していた。

「あと二分……」

残りの二分、待っていることしかできない自分が歯痒い。何か自分にもできることはないかと考えるが、名前がハンクから命令されたのはサンプルを無事に持ち帰ること。もしあと二分以内にハンク達が帰ってこなかったとしても、決して引き返してはいけない。
そんなことを考えている間にも時間は過ぎていく。あと一分、三十秒、二十秒……こんなときほど時が過ぎるのが早く感じられる。

「隊長、ベクターさん……」

早く帰ってきてと名前は念じ続ける。「死神」とその弟子であるベクターが、こんなところで死ぬ筈がないと名前は信じていた。

「…………」

だが、五分経過しても遂にハンクもベクターも戻ってこなかった。

「そんな……」

名前はその事実を信じたくなかったが、ハンクの命令を無視する訳にはいかない。
名前は震える手でエンジンキーを回し、アクセルをかけてゼノビア号から離れていく。ハンドルを握る名前の手は緊張とショックからくる汗でびっしょりだった。
背後からはゼノビア号が爆発する音が聞こえてくる。本当にハンクとベクターは死んでしまったのだろうか。混乱しながらもボートを進める内に、ゼノビア号から聞こえる爆発音も遠くなっていく。
そのとき、ふと名前は爆発音とは違う、ザバーン……と何かが海の中に落ちる音を聞いた気がした。

「何?」

名前はボートの速度を緩めて背後を振り返った。すると、海に何かが浮かんでいるのが見える。それはこちらに向かって少しずつ近づいてきているように見えた。

「あれは……?」

名前はそれが何なのか確認しようと見詰めるが、視界が暗く、波に阻まれ姿がよく見えない。嫌な予感がした名前がアクセルを掛け直そうとしたそのとき、ボートの後部座席に突然ぬっと黒い影が映り込んだ。

「な……何っ!?」

名前は銃を手に、急いで運転席から降りて外へ出る。すると、そこにはベクターがボートにもたれて座り込んでいた。

「ベクターさん!?」
「間に合ったか……」

そう呟くベクターのスーツは海水に濡れている。どうやらベクターは名前がボートを停めている間に、海を渡って自力でボートに乗り込んだらしい。

「じゃあ、あれは……」

名前が先ほど見ていた方角を見直すと、そこにはハンクがボートに向かって海を泳いでくる姿があった。

「隊長!」

ハンクの姿を見た瞬間、名前の目にじわっと涙が溢れ出す。名前はボートの側に来たハンクに手を伸ばし、ハンクがボートに乗るのを手伝った。

「隊長、ベクターさん。怪我は……」

名前が急いでボートに置いていた応急セットを持ってくると、ハンクはそれを受け取る。

「私達のことは良い……今はゼノビア号から離れるぞ」

治療は自分達でやると言い、ハンクは応急セットを受け取ると名前に運転を頼む。名前は言われた通り運転席に戻り、本部への帰還を目指した。途中、ハンクがサンプル回収に成功したことを本部に連絡したので、本部からヘリが搬送に駆けつけた。

三人はボートからヘリに乗り移り、ハンクは助手席、名前とベクターは後部座席に座った。流れで乗り合わせることになったとはいえ、名前とベクターは任務当初から始終打ち解けることもなかったので、ベクターは何とも思っていないのかもしれないが、名前は何となく気まずい気分だった。

「……お前に訊きたいことがある」
「え……私ですか?」

突然ベクターが話し始めたので、名前は自分に話しかけてきたのかと耳を疑った。

「ああ。何故、任務中に俺を助けようとした?」
「助けるって……」
「俺が怪我をしたとき……それと、瓦礫が落ちてきたときのことだ」

てっきりベクターから駄目出しを受けると思っていた名前だったが、ベクターの質問は名前には思いも寄らないものだった。

「それは……ハンク隊長の教えです」
「マスターの?」
「はい。兵士であっても、命を粗末にするなと」

ベクターは戦場において、弱者はただ死ぬのみという考えを持っている。ベクターが師と仰ぐハンクも、戦場では自分の道は自分で切り開かねば生き残れないという、両者ともストイックな考え方をしている。
だがハンクは兵士一人一人を貴重な人的資源とも考えており、無闇に命を捨てるのは賢明ではないとも思っている。そこが、師弟ハンクとベクターの似て非なる面だった。

「隊長は自分の命を大切にと教えてくださいましたが……私は自分の命だけじゃなく、仲間の命も大切にするものだと思います」
「…………」

窓越しに海を見詰めながらそう話す名前の言葉を、ベクターはただ静かに聞いていた。

「仲間、か……」

ベクターにとって任務を共にするチームメンバーは仲間というより、ただ協力して任務を成功させるパートナーというだけの相手である。名前のようにメンバーを仲間だと思うような人間は、ベクターにとって最も理解できない存在だった。

「俺達は所詮使い捨ての兵士。新人だろうがプロだろうが、殉職すれば終わりだ。お互いいつ死ぬかも分からないのに、一々仲間意識など育んでいられるか」
「いつ死ぬかも分からないからこそ、じゃないですか?」
「……どういうことだ?」
「いつ死ぬかも分からないからこそ、メンバーを仲間と意識することが大切だと思うんです。仲間意識があれば、共に戦い、共に死のうという気持ちが生まれます。私は、それがチームの団結力や士気を上げることに繋がると思うんです」

確かに名前の言うことも一理ある。ベクターも名前のような考えを持つ人間には、今まで何人も会ってきた。

「お前は俺と正反対の考えを持っている。それに異議を唱える気はない。だが、お前のような甘い考えを持つ人間は、俺は嫌いだ」
「嫌いって、そこまで言いますか……」
「好きになれる訳がない。そういう人間は、戦場で一番早く死ぬ」
「…………」

ベクターの経験に基く言葉に、名前は沈黙する。戦場で自分の身を守り、仲間の命も守るのはそう簡単なことではない。自分も仲間も守ろうとする以上、それだけ死ぬ確率も上がる。
仲間に気を配りながら戦うのでは攻めることも難しくなり、どうしても気持ちが守りの姿勢に入ってしまう。ベクターは他人のせいで思うように戦えなくなるなど非効率としか思えないので、やはり名前の考えはベクターには相容れないものだった。

「でも、今回の任務でベクターさんは私を助けてくれましたよね。だから私もベクターさんを助けたいと思ったんですよ?」
「助けたつもりはない。今回の任務は少数参加で後援もなかった。だからこそ、一人でも隊員を失えばそれだけ損失も大きい。俺は任務の成功を第一に考えて行動しただけだ」
「…………」

ここでまた何か言い返すとベクターと言い合いになると思ったので、名前はもうそれ以上何も言わなかった。名前がそのまま黙っていると、更にベクターが尋ねる。

「もう一つ、お前に訊いておきたいことがある」
「え?何ですか」
「お前はマスターに選ばれた部下だと聞いている。だがお前は、何故マスターの部下になることを選んだ?」
「選ばれたというより、志願したんですよ。自分から」
「だとしても、マスターは誰でも自分の部下にする訳ではない。お前は選ばれたんだ」

何故ベクターが自分のことを色々訊いてくるのかと思ったが、それを今尋ねても答えてくれそうにない雰囲気だったので、名前は素直にハンクの部下になった経緯を話し始める。

「私がハンク隊長の部下に志願したのは、ラクーンシティ事件がきっかけです」
「ラクーンシティ事件?」
「はい。ベクターさんもご存じでしょうが、隊長は事件のとき、生き残ったチームメンバーを全員退避させて、最終的にたった一人で任務を遂行されたと聞いています」
「ああ……」
「それは隊長がこれ以上犠牲を出さないために、咄嗟にそう判断されたのだと思います。でも、そんな命がけの行動を取れる人はそうはいません」

ハンクは当時、生存率僅か数パーセントという絶体絶命の状況で、単独G-ウィルスサンプルの回収に向かい、無事目的を果たして生還した。死地においても必ず任務を成功させる、そうした数々の功績からハンクは「死神」という畏敬を込めた綽名で呼ばれている。
一兵士に過ぎない名前にとって、その死神は憧れの存在であり、目指すべき目標だった。

「私はそういうハンク隊長に憧れて、戦い方を教えてほしいと志願しました。もちろん隊長は厳しいですから、最初から認められた訳ではありません。たくさん駄目出しもされましたし、今でも色々お叱りを受けます。でも、それでも隊長のようになりたいと訓練を続けているうちに、一緒に任務へ連れて行ってもらえるようになったんです」

ベクターもロックフォート島でハンクと訓練を積んできた分、ハンクの訓練に対するストイックな姿勢、厳しさは身を以て分かっている。名前は簡単に言っているが、その実は並ならぬ努力を重ねてきたのだろう。まだ未熟ではあるものの、名前も相当な訓練を重ねて漸くハンクから認められたのだということが、ベクターにも分かった。

「それよりもベクターさん、怪我はどうですか?」

そう尋ねてくる名前に、ベクターはフンと顔を逸らす。

「俺の心配より、その暢気な自分の頭を心配しろ」
「なっ……もうベクターさんはー!!」

色々話して少し打ち解けたと思っていた矢先にそう言われた名前は、勘違いだったのかとがっくり肩を落とす。

「ベクターさんはどうしてそうやって、ひねくれたものの言い方をするんです?」
「俺はただ思ったことを言っているだけだ」
「その言い方が意地悪なんですよ!!」

隊長も何か言ってくださいよと言って、名前は助手席に座っているハンクを巻き込む。

「私から見れば、どっちもどっちだな」

また言い争いをしていたのかというように、ハンクは名前とベクターを振り返りながらため息を吐く。

「隊長そんな……!」
「マスターは、この女と私が同等だと?」

名前の言葉をかき消す勢いのベクターの発言に、名前はきっとベクターを睨みつける。

「反論するところ、そこですか!?やっぱり私を見下してるんですね!!」
「そういうお前は、俺と一対一で戦って勝てる自信があるのか?」
「くっ……」

そう言われてしまうと、名前は何も言い返すことができない。ベクターと本気で戦ったら、名前はものの数十秒で倒されてしまうだろう。

「お前たち、少しは静かにしろ!」

ハンクに諫められて、ベクターと名前は漸く黙り込む。何も言えない代わりに名前はベクターを睨むが、ベクターは名前の視線などお構いなく、終始名前をスルーして、窓から外の景色を見ていた。

名前達を乗せたヘリは無事に本部へ帰還した。ハンクやベクターがヘリから地上へ降り、その後に名前も続く。そのとき、先に降りていたベクターが名前に手を差し出す。

「……何ですか?」

差し出された手の意味が分からず、名前はベクターに問う。普通であれば降りやすいよう手を貸してくれているのだろうが、ベクターのことだから先に大事な銃器を預かるとか、何か別の意味があるのではと名前は思った。

「銃を渡せ」

ベクターの答えは名前の想像通りだった。名前は言われた通り自分の持っていた銃を渡す。ベクターに銃を渡し、身軽になった名前はヘリから降りようとした。
そのとき、再びベクターの手が差し出される。

「今度は何ですか?」
「足下に気を付けろ」
「…………」

ベクターの意外な言葉に名前はその場に佇んだ。そして、名前はベクターの手を見ているだけで取ろうとしない。

「何をしている。早くしろ」
「……何か裏があるんじゃないかと思って」
「何?」

何故そんな想像をするのかと、名前の言葉にベクターは呆れている。

「俺を何だと思っている」
「でも、さっき触るなって……」

どうやら名前は任務中、ベクターの手当てを手伝おうとしたときのことを思い返しているらしい。

「言っておくが、俺はよく知らない他人に治療を任せるのが信用できないからああ言ったんだ」
「……それなら、今は信用してくれているんですか?」
「ああ。初対面のときよりは信用している」

そう言われた名前は、片方の手でジュラルミンケースを持ったまま、もう片方の手でベクターの手に自分の手を乗せてヘリから降りた。

「あ、ありがとうございます……」
「これくらい、礼など必要ない」

名前に礼を言われたベクターは、素っ気なくフンと顔を逸らす。

「何だ。仲直りしたようで安心したぞ」

名前達の様子を目にしたハンクが声を掛けてくる。そもそも名前はベクターと喧嘩しているつもりはなかったのだが、ベクターは何かバツが悪そうな様子だった。

「名前、お前は本部にサンプルを届けてこい」

ハンクにそう言われた名前は、分かりましたと言って本部へ戻っていく。

「転ぶなよ」
「そこまでドジじゃありません!」

ケースを抱えたまま歩く名前の背中に向かってベクターが声を掛けると、名前はムッとしながら言い返し、バタバタと走って行ってしまった。
ベクターと二人きりになったハンクは、名前の姿が遠くなると徐に話し始める。

「ベクター、今回の任務でお前は名前の欠点ばかり見ていたようだが……名前から学んだこともあるのではないか?」
「学ぶ?」
「名前のように相手を思いやるところは、お前も見習ったらどうだと言っているんだ」
「…………」

ハンクにそう言われたベクターは、首を横に振る。

「他人を思う暇があるなら、自分を高めるだけだ。自分が弱くては……自分どころか、何も守れはしない」
「そうか……」

名前には名前の考え方があり、ベクターにはベクターの考え方がある。ハンクはそれぞれの思想にまで言及はしない。同じ戦場にいても、戦う意味、姿勢はそれぞれ違うことをハンクは理解していた。

「ただ……」

ベクターは本部へ向かう名前の後姿を見ながら呟く。

「マスターが何故名前を部下にしたのか……今なら分かる気がする」
「ベクター、何か言ったか?」

ガスマスクに遮られてよく聞こえなかったのか、ハンクはベクターに尋ねる。

「いえ……」

ベクターはそう言って名前の後に続き本部へ戻っていく。二人の後輩の後姿を、ハンクは腕を組んで眺めていた。

「あの二人が組んだら、面白いことになりそうだ」

名前とベクターはお互い性格が違って合わないところもある分、一緒に訓練をすれば良い刺激になるだろうとハンクは思っていた。

「……打ち解けるには、まだ時間がかかりそうだが」

そう呟くガスマスクに隠れたハンクの表情は、穏やかに笑っていた。

―――――
(あっ!ベクターさん、後ろにいたなら言ってくださいよ!)
(……お前と話すと色々面倒くさいからな)
(酷い!後輩にそんな言い方冷たくないですか?)
(俺はお前が後輩だなんて認めていない。もっと実践スキルを身に付けろ)
(どうしたらベクターさんみたいに、素早い身のこなしができるんですか?)
(訓練あるのみだ。その気があるなら、今度実践で使える武術を教えてやる)
(本当ですか!?)
(ああ。言っておくが、俺はマスター同様スパルタだが覚悟はあるか?)
(やります!よろしくお願いします!)
(分かった。それより早くサンプルを届けてこい)
(はい!)
(……フッ、単純だな)

後書き・解説→

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