昨日のお返しだよ3

私はこれまでの疲れが出始めていたので、それ以上淳を追及する気力も無く、もう黙って迷路のように窮屈で、今にも崩壊しそうな建造物の中を彷徨った。
どうやらこの建物には侵入者を阻害する為の監視役が居るらしい。私は図らずも手に入れた幻視の力を使って、それらの監視の目を摺り抜け建物の奥へと足を進めた。

そうして歩き続けていると、やがて開けた場所に出た。だがその空間は一切の光が差さない、異様な闇に覆われていた。

「……ここがこの建物の最深部みたいね」

私はそっとその暗い空間に足を踏み入れた。だが地面に足を着けた瞬間、目眩がした私はその場に跪いた。

「おい、どうした名前!」

背後に居た淳に体を支えられる。

「……大丈夫。何でもない」
「お前、まさか……」

淳は深刻そうな顔で私の顔を覗き見ていたが、それにしても大袈裟な態度だと思った。
だがこのとき、何故淳がそんな表情をしていたのか、その理由を私は後で知る事になる。

「……淳、静かにして」

朦朧とする意識の中で、微かに何かの音が聴こえた気がした。

「何の音……?」

耳を澄ませると、遠くから旋律が聴こえて来る。

「淳、あっちへ行ってみよう」
「お前……もう大丈夫なのか?」
「うん、何とかね」

私は淳に支えられて起き上がり、その音のする方へ向かった。

そうして暫く歩き続けていると、暗闇に小さな蝋燭の灯りが点々と見え始める。やがてその僅かな蝋燭の灯りに照らされて、二つの人影が見えた。
一人はパイプオルガンを演奏しており、もう一人はそれを何も言わずに背後から見詰めている。見るからに異様な雰囲気を感じた私達は、一旦物陰からその様子を窺った。よく目を凝らして見ると、パイプオルガンを弾いているのは村の教会に仕えている求導女の八尾比沙子だった。

「八尾さんが、どうしてこんなところに……?」

訳の分からない光景を、私と淳は壁に隠れながら見守っていた。
暫くすると求導女が演奏を止めて椅子から立ち上がり、側にある祭壇のようなものに近付く。
その祭壇の上には見覚えのある黒い服の少女――

「あれは、美耶子……!?」

祭壇の中央には美耶子が横たわっていた。

「どういうこと?何で八尾さんが美耶子を……」

そして求導女が祭壇の前に立つと、突然、美耶子の体が燃え盛る炎に包まれた。

「み、美耶子……!!」
「おい、名前!!」

私は無我夢中で美耶子の元へ走った。その途中、求導女の背後で事の成り行きを見守っていたもう一人の顔が一瞬、燭灯に照らされた。私は我が目を疑った。それは美耶子の姉の亜矢子だった。自分の妹が目の前で火に焼かれているところを、どうして傍観していられるのか。亜矢子は美耶子の事をよく思っていなかったようだが、それにしても冷酷過ぎると思った。
そのとき、ふと求導女が振り返り、自分の背後にいる亜矢子を見据えた。そして求導女が亜矢子に向かって手を翳すと、亜矢子の体も突然燃え始めた。

「いやあああああっ!!」

亜矢子の全身が、美耶子と同様に見る見る赤い炎に包まれる。苦悶の断末魔を上げながら、亜矢子はその場に崩れ落ちた。

「亜矢子!!」

私の後ろに居た淳が絶叫し、その声で求導女がこちらの存在に気付いた。

「おい、求導女!!」

淳は私を追い越し、求導女の元まで勇み足で近付く。

「何故亜矢子にこんなことを!!」

自分の婚約者が炎に包まれていく光景に、淳は驚愕して求導女に抗議する。だが憤慨する淳を前にしても求導女はクスリと満面の微笑を浮かべるだけだった。その笑みは聖母のように美しいものなのに、何故か、とても人間のものとは思えない不気味なものを感じさせた。

「もう実はこれで揃ったの。次の実はもう要らない……楽園を齎す神の復活を祝福しましょう。これで、罪は洗い流された……」

求導女は訳の分からない事を言って、淳から美耶子の眠る祭壇に目を移す。私は求導女の言っている言葉の意味が理解出来なかったが、どうやら淳は理解しているようだった。
亜矢子はあっという間に焼け焦げて真っ黒になり、突然の事に私たちは成す術もなかった。肉の焼けた臭いが辺りに立ち込め、独特の異臭に吐き気を堪えながら、私は淳に尋ねる。

「淳……実って何の事?」
「……お前は知らなくて良い」

淳は私を振り返り、さっと目を逸らした。

「目の前で人が二人も殺されたって言うのに、何も知らずに平然としていられる訳ないでしょう!?」

しかも二人とも私の知っている人だ。今までもここに辿り着くまでに、村に何が起こっているのか淳に何度も尋ねたが、彼はその度に話を誤魔化したり無視したりしてはぐらかしてきた。

だが、神代姉妹が目の前で焼かれたことで流石に淳も観念したらしく、訥々と真相を話し始めた。

「……神代の家には呪いがかかっている」
「呪い……?」
「ああ。代々行われている儀式は、その呪いを贖うためのものだ。その証として、神に実が捧げられる」
「実って……」
「生贄のことだ」
「じゃあ儀式って……まさか、これの事なの?」

私の問いに、淳は無言で頷いた。

「……そんな、まさか」

何て事だ。眞魚川に落ちる前、美耶子を庇っていたときに閃いた嫌な予感が的中してしまった。

「……美耶子は生まれたときから、神の花嫁になる宿命だったんだ」
「……それじゃ、目が見えないから屋敷から出られなかったんじゃなくて、儀式の生贄になるために、今まで屋敷に閉じ込めていたの!?」
「……そうだ。外の世界を知られると都合が悪いし、美耶子は神代の戸籍上も存在しないことになっている」

神の生贄として生まれ、社会にもその存在を知られず、屋敷に軟禁されて日々を過ごし、儀式の生贄として生涯を終える。
遙か昔の時代に水不足や飢饉に苦しんだ人々が神への捧物として山に娘を置いてきたり、川に沈めたりすることは聞いた事があるし、本当にそんな事はあったのかもしれない。

だが、それが今の時代にも、現実に行われているなんて私は信じられなかった。しかも、自分が生まれ育ったこの村で……!

「美耶子は、私には一言もそんな事……」
「美耶子はお前に迷惑がかかると思ったんだろう」
「どういう事?」
「この村の秘密を何かしら知ってしまった人間は皆、宮田医院に監禁されている。精神疾患者としてな」

つまり口封じだと、淳は吐き捨てるように言った。余りの恐ろしさに、私はぞっとして自分の体を抱え込んだ。

「俺は今、村がこんな状況だからお前に全てを打ち明けたんだ……この事は誰にも言うなよ。知っているのがばれたら、お前も病院送りになる」

そのときは幾ら俺でも助けられないからな、と淳は釘を刺すように言った。

そのとき、祭壇に眠る美耶子の体の上に巨大な影が浮かび上がる。そして、その光の中から気味の悪いものが現れた。虫のような胴体に翅が生えた見た事もない生物――いや、生物というより化け物だった。

「何よ、これ……!?」

求導女は恍惚とした表情で化け物を見詰めている。私と淳は呆然とその化け物を前に佇んでいた。しかし、それは出現したかと思うと、いきなり苦悶して身を屈め、耳を劈くような甲高い奇声を上げて暴れ始めた。そして、暴走を始めた化け物が私の方に突進してきた。

「名前!!」

そのとき、私の隣に居た淳が私の体を突き飛ばした。

「うわあああああっ!!」
「淳!!」

淳は化け物の頭突きをまともに喰らい、そのまま連れ去られた。

「じ……淳を返して!!」

私は飛び去ろうとする化け物の後を追った。

―――――

私がそのまま化け物を追いかけていると、いつの間にか知らない場所に辿り着いていた。空は闇に覆われ、どこまでも平地が続いている。その平地には一面中、羽生蛇村にしか咲かない奇花、月下奇人が咲き乱れていた。空の暗黒と月下奇人の紅い花弁が地上を埋め尽くす赤と黒のコントラストは、それだけで見るものに恐怖を与え、さながら無機質な地獄絵図のように見えた。

暫くすると、化け物が再び苦悶の叫びを上げ始め、徐々に落下し始める。化け物はそのまま月下奇人が咲き乱れる花野に落ちた。

「淳!」

私は化け物に近付き、淳の姿を捜した。すると、化け物の頭部の側に淳が倒れていた。

「淳!!」

淳の体を見てショックを受ける。彼の来ている白シャツが真っ赤に染まっていた。

「そんな、淳……!!」

淳は私を庇った所為で……。

「淳!!嘘でしょ!?」

何度呼びかけても淳は意識を取り戻す気配はなく、胸から流れ出る血も止まらない。私は自分の服の袖を破り淳の胴体にきつく巻き付けたが、その布もあっという間に真っ赤に染まっていった。

「そんな……」

恐る恐る淳の左胸に耳を近付けると、心臓の鼓動はもう聞こえなかった。

「淳……いや、淳!!」

私が淳の体に縋り伏していると、ふと背後から足音がした。振り返ると、私の背後には恭也が立っていた。

「恭也……どうしてこんなところに……?」
「俺は、美耶子に連れて来られたんだ」
「美耶子に?それはどういう……」

そのとき、倒れていた淳が突然起き上がった。

「……淳!?」

意識を取り戻した淳の顔は異様に蒼白く、両目から一筋の赤い血が滑り落ちていた。

「淳、目から血が……」

淳の目から流れ出たそれを拭おうと私が手を伸ばすと、その手を淳が掴む。

「……ハ、ハハハ、ハハッ!」

突然、淳は狂った笑い声を上げ始めた。

「……淳?」

私は淳が深手を負ったショックの所為か、ありえない事を体験している内に気が動転してしまったのかと思った。だが淳はふと笑いを止め、私の方を見た。

「名前……お前を見ればわかる。お前も、こちら側に来るみたいだな……一度死んだ俺が言うのだから、間違いない」
「こっち側……?死んだ……?」
「お前が眞魚川に落ちたとき、もしやとは思っていたが……俺の勘は、当たっていた」

淳は私には理解出来ない言葉をブツブツと呟いて、ふと恭也を見上げた。

「お前はどうやら最初とは勝手が変わったようだな……もしかして美耶子に何かされたか?」

淳に尋ねられた恭也は、何事か考えを巡らせている。そして何かを思い付いたのか、ああ、と声を上げる。

「美耶子と逸れる前、美耶子が自分の腕を切って、俺の傷口に自分の血を垂らしたんだ。びっくりして何してるんだって訊いたら、「罪の赦し」とか「こうするしかない」とか訳の分からない事を言っていた」

その言葉で淳は何かを察したらしい。

「そうか。だからお前は……」

淳は徐に立ち上がり、背負っていた猟銃を手にして恭也に狙いを定めた。

「淳!?」

対峙する恭也も、何故か猟銃を持っていた。そして淳に向けてそれを構える。

「フン。銃の扱いも知らない都会育ちの男が、俺を撃てると思っているのか?」
「俺はゲーセンの射撃やガンシューティングじゃいつも連戦連勝だよ」
「何を暢気なことを言っている?……どうせお前は目障りだ。ここで消えてもらおう」

そう言って淳が狂った笑い声を上げると、突然細長い鉄塔がズズズ……と地上から聳え立った。

「淳、何なのこれ!?」
「名前、お前は危ないから下がっていろ」

淳はそう言って私に鉄塔の一つの後ろに隠れるよう指示する。

「ちょっと、一体何をする気なの!?」
「心配するな。ただの”遊び”だよ」

淳はせせら笑いながらそう言う。だが二人の所持している得物は本物で、どう見ても遊びには見えない。

「名前……あいつも死なないし俺も死なない。だから心配するな」

淳はそう言うと、いきなり恭也目掛けて銃を撃つ。恭也は咄嗟に側にあった鉄塔に隠れてその弾を避けた。いきなり発砲された事に流石の恭也も腹を立て、鉄塔の陰から淳に狙いを定める。

恭也の狙撃を鉄塔に隠れてやり過ごそうとしていた淳だが、その間に恭也は淳が隠れている鉄塔まで走り込み、淳に銃口を向ける。

「何!?」

ここまで強行手段に出られるとは思っていなかった淳は一瞬行動に迷いが出た。その隙を見逃さず恭也は淳を撃つ。
バンという発砲音と共に、淳の体がよろける。淳はまともに弾を喰らったようで、肩の辺りから血が流れ出た。

その血を見た瞬間に私はぞっとして、隠れていた鉄塔から身を乗り出した。

「ちょっと!!二人共もう止めて!!」

集中している二人は私の声を聞いていないようで、再び互いに狙いを定め始めた。

「お前……よくもやってくれたな!!」
「お前が卑怯な手段を使う前に、全部終わらせてやる!!」

どう見ても殺し合いの光景に耐え切れず、私は立ち上がった。

「淳!!」

私が鉄塔から離れ淳のところへ行こうとすると、途端に彼が怒鳴った。

「おい、こっちに来るんじゃない!!」

そのとき、淳の脳天に恭也が撃った渾身の一撃が当たった。

「うっ!!」
「淳!!」

淳は撃たれた衝撃でその場に倒れた。私はもう居ても経っても居られず、急いで淳の元へ駆け寄った。
淳の頭からはドクドクと血が流れていたが、さして辛そうな様子も見せず、ただ自分を見下ろす恭也を睨み上げた。

「くっ……中々やるな」

一体何なんだ。何がどうなっているんだ。

動揺する私に構わず淳は再び起き上がり、恭也と対峙する。
そうしてどこから持ってきたのか、淳は自分の背後からいきなり日本刀を取り出した。



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