「これは神代家に代々伝わる焔薙という宝刀でな。遙か昔、異教弾圧の為にこの村を焼き払おうとした幕府の炎さえ切り伏せた名刀だ」
淳は刀を手に、恭也に向かって突進し始める。襲い掛かって来る相手に照準を定めている暇はなく、恭也は逃げ出した。
「大人しく俺に斬られろ、クソガキ!!」
「クソガキって、お前俺とそんなに歳変わらないだろ!?」
「何言ってる、お前名前と同級生ってことは、俺より二つ年下だ。二つも歳が離れていたら充分クソガキだろ!!」
「二歳しか違わないだけで、何、年長者気取ってるんだよ!年寄りを労われみたいなこと言ってんじゃねえよ!!うおっ、危ね!!」
「黙れ!!お前のようなどこにでもいる路傍の石が、この俺に口答えしてどうなるか分かっているんだろうな!?」
「お前、良いところの坊っちゃんみたいだけど、クソガキとかそんな汚い言葉遣いをするなんて品が無いんだな!!それでもお坊ちゃまか!?」
「何だとお前ッ!!」
だが、そうして走り回っている内に突然恭也のズボンのポケットが光り始めた。
「……よし」
恭也はそう言ってポケットから光る何かを取り出した。
「……な、何だその気味の悪い偶像は!」
淳はポケットから取り出された恭也の手の中にあるものを凝視して言った。恭也の手には縄文時代の土偶のようなものが収まっている。
「……それはお前、もしかして宇理炎か!?」
淳は驚愕の眼差しで恭也の手の中にあるものを見ていた。
「お前には見えもしないし聞こえもしないだろうけど、俺はさっきから美耶子に助けられて行動していたんだ」
「何?美耶子だと……美耶子は、生贄になったじゃないか」
「美耶子は俺の傍に居るんだよ」
「……はっ。お前、大丈夫か?異界にいて頭でもやられたか?」
嘲笑う淳に、恭也は軽蔑の視線を投げる。
「お前には何を言っても無駄だな」
そのとき、恭也が宇理炎を天に向ける。
「喰らえ!!」
恭也が暗黒渦巻く天に向かって宇理炎を掲げると、闇の中から一筋の光が落ち、それは淳の体に命中した。
「ぐあああああああ!!」
淳の体が青白い炎に包まれ、淳は絶叫を上げて藻掻き始める。淳は悶絶しながらその場に崩れた。
「淳!!」
私は横たわる淳に駆け寄った。焼き殺されるほどの凄まじい炎に包まれたにもかかわらず、淳は生きて、そこに横たわっている。淳の手を取ると、その手を淳が握り返した。淳は私を見て、哀しそうな笑みを浮かべていた。
「何でこんな……死んだかと……」
「俺が、お前を置いて死ぬ訳がないだろう……」
その言葉で、私はフッと昔の記憶を思い出した。
―――――
幼い頃、私は羽生蛇村にしか生息しないハニュウダカブトを採りに行く為、淳と二人で蛇ノ首谷にある折臥ノ森へ遊びに行った事がある。だが森の坂道を歩いている途中、突然私達は「山犬のようなもの」に遭遇した。私は恐怖で足が竦み、その場から動けなくなってしまった。
「名前!」
淳は咄嗟に私を背に隠した。
「……早くにげろよ」
「で、でも……淳は?」
「おれは後で行くから、早く!」
淳は山犬から遠避けるように私の体を押した。
「……淳、死なないでね!」
「おれがお前をおいて死ぬわけがないだろう」
私は淳を置いて行くのが嫌だったので、逃げたふりをして木陰から様子を見守ることにした。淳はキッと鋭い目で山犬を睨み付け、側にあった木の棒や石を拾って山犬に思い切り叩き付けた。叩かれた山犬は「ギャッ」と悲鳴を上げると、反撃のようにすかさず淳に飛び掛かった。
「うわっ!!」
飛び掛かられた衝撃で、淳の体はあっという間に山犬の下敷きになった。
「淳!!」
私は淳と山犬の様子を上から見下ろしていたので、側にあった石を引き摺り、山犬の上に落とした。
「ギャアアアッ!」
漬物石大の落下物が直撃した山犬は、奇妙な呻き声を上げてのたうち回る。その隙に淳は山犬の下から抜け出した。そして山犬は、そのままその場に蹲り動かなくなった。
空から石が降って来たのでおかしいと思ったのだろう、淳はふと上を見上げる。そして、淳を見下ろしていた私と目が合った。
「……おまえ、にげろって言っただろう!」
私に助けられた事への羞恥心か、それとも私の身を案じているからか、淳は怒鳴り声を上げた。
「……だって、淳をおいていくなんていやだったの!」
見た事もない山犬に遭遇した恐怖と、淳が襲われそうになった瞬間を目の当たりにした恐怖が今更になって込み上げて来た私は、思わず涙を流す。途端、淳はぎょっとして私のいる坂の上まで歩いて来る。
「お、おい……泣くなよ!」
「だって、うう……」
「もういい。わかった、とにかくここからはなれよう」
淳は泣き止まない私を宥めながら折臥ノ森の山道を下りた。
下り終わる頃には、私も気持ちが落ち着いて既に泣き止んでいた。
森を出て安心した直後、淳は「うえっ」と何かに驚いた声を上げた。何だと思って淳の方を見ると、淳の服の前がベットリと何かで濡れていた。
「うえ、あいつのよだれだ」
「……あの犬の?」
「ああ。さいあくだな」
「うええ」
そして、私たちは顔を見合わせ、どちらからともなくゲラゲラと笑い合った。
我がままで傲慢、ぶっきらぼうで、素直じゃなくて、何でも一番が好きな淳。でもいつだって私を護ってくれた淳。
さっきだってそう。化け物に突き飛ばされそうになったときも、淳は咄嗟に私を庇ってくれた。
良いところも悪いところも、昔から変わらない淳。
ああ、私はずっと、そういう淳が好きだったんだ。
―――――
「……そろそろ茶番は終わったのかしら?」
突然、気配もなく背後から女の声がして、私達三人は同時にそちらを見た。
私達が追った視線の先には、八尾比沙子が佇んでいた。そして彼女の背後には、さっきまで力尽きていた化け物が浮遊している。
「……あいつ、自分の身を依代にして、堕辰子を復活させたか」
「……堕辰子?」
淳は起き上がりながら、求道女の背後に居る化け物を見上げて言った。
「名前……あれが、眞魚教の信仰神の堕辰子だ」
「あれが、堕辰子?」
「ああ……この村の呪いの元凶だ」
まさか眞魚教の神、堕辰子が実在すると思っていなかった私は、堕辰子と呼ばれた神を呆然と見上げた。
そのとき、恭也が堕辰子の方へ向かっていく。
「恭也?」
「……美耶子があれを倒せって言ってる」
「……美耶子?」
美耶子は生贄にされてしまったのに、どういうことなのか。恭也はよく分からない事を言うと、淳の方を見る。
「美耶子の義兄さん」
「……何だ?」
「その刀を俺に貸して欲しい」
恭也は淳が持っている焔薙を見て言った。
「……何をするつもりだ」
「俺がアレを倒す」
恭也は真剣な表情でそう言った。
「俺は美耶子と約束したんだ。何もかも全て終わらせるって」
「…………」
恭也の真摯な眼差しを淳も見据える。だが、最後は手にしている焔薙を恭也に手渡した。
「……ふん、美耶子の頼みとあらば仕方がないからな」
焔薙を恭也に譲った淳は、猟銃を手に立ち上がる。
「俺も出来る限りの事はやってやる」
そのとき、淳がぐっと私の手を掴んだ。
「名前、お前は俺の側に居ろ」
淳の横顔は相変わらず意地悪そうな表情だったが、それでも私には心惹かれるものがあった。
何故だろう、淳の言葉はいつだってとても傲慢で命令的な口調なのに、その中に一筋の愛情のようなものが見え隠れしている。だから私は、淳の事が嫌いになれない。
私は握られている淳の手を握り返した。
―――――
蛇ノ首谷の橋架の上に三人の人影があった。三つの影は、横一列に並んで歩いている。
霧の中から現れたのは名前、淳、恭也の三人だった。正面から見て左側には淳、右側には恭也、二人の間に名前が立っていた。
あの後堕辰子を倒した事でいんふぇるのを脱した三人は、無言で橋の上を歩いていた。
名前の隣に立っている淳は相変わらず蒼白い顔で目から血を流している。血が止まらないのはどういう事かと名前が尋ねると、これは屍人化と言って、自分はもう人間ではない状態なのだと淳は言った。
「お前も川に落ちたとき、眞魚川の水を飲んだろう……俺の見たところ、お前ももうすぐ人間ではなくなる」
この村に流れる赤い水が大量に体に入ったり、異界で死亡すると屍人というものになるらしい。それは神代に伝わる伝書に記されていたことで、あくまで伝説のように考えられていたが、こうして村が異界に取り込まれた今、伝書に書かれていたことが真実だと分かったと淳は説明した。
淳に説明された後、名前は自分が屍人になってしまうことを恐れた。一層のこと、恭也の持っている宇理炎で浄化してほしいとさえ思った。
「……お前が死ぬなら、俺も死ぬ」
恭也に懇願する名前を見て、淳はそう言った。
「自分だけ死ぬなんて……お前は俺をここに置いていくつもりか?」
「淳は……浄化してほしいと思わないの?」
「正直、今となってはどちらでも良い……が、お前と離れるのは嫌だ」
お前はどうするつもりだ、と淳は恭也に尋ねる。
「……俺は美耶子と一緒に、俺が必要とされる時代を回り続ける役目がある」
恭也も眞魚川に落ちたことで屍人化する呪いを受けていたが、神の花嫁である美耶子の血を分けれらたことにより、屍人化せず屍人や呪いを浄化する役目を背負うこととなったらしい。恭也によると、美耶子の魂が恭也の傍に寄り添っているらしく、恭也もその存在を感じ取れるのだと言う。
「まあ、お前なら美耶子とうまくやっていけそうだしな……大切にしろよ」
恭也にそう言った淳は再び名前を見る。
「……で、どうするんだ名前?」
屍人として異界で生きるのか。それともここで恭也に浄化されるのか。恭也と淳は名前がどうするのか答えを伺う。
「……屍人になるってことは、呪いを受けて生き続けること……でも」
自分が消えれば淳も消えるという。名前にとっては、それは淳を道連れにするようで嫌だった。
「私は……ここで過ごしてみる」
浄化された先で淳と一緒に過ごせるかは分からない。そう考えた名前は、異界で過ごすことを選択をした。
「そっか。まあ……辛くなったときは、いつでも俺を呼べよ」
「ありがとう、恭也……」
名前の答えを聞いた恭也は励ますように、名前の肩に手を置く。
「おい、気安く名前に触るなよ」
淳はそう言ってすぐに名前の肩から恭也の手を振り払う。
「独占欲が強い男は嫌われるぜ」
「うるさい!」
「じゃあな、名前。もう……美耶子が呼んでる」
恭也はそう言うと瞳を閉じた。すると、恭也の目前に時空の裂け目が現れる。恭也は名前と淳に別れを告げると、その異次元に繋がる空間へ飛び込んだ。
「行っちゃったね……」
「ああ……」
名前が寂しそうな顔をしているのを見て、淳は顔を曇らせる。
「何だお前、もしかしてやっぱりあいつの事を……!」
「もうずっと会えないのかも知れないと思ったら、何だか寂しいなって……」
嫉妬で怒りに沸いた淳だったが、俯いている名前を見ると、少し躊躇いがちにその頭にポンと手を置く。
「……あいつとは、また会えるだろう」
柄にもない淳の言葉に、名前は思わず顔を上げる。
「淳……側に居てよね」
「当たり前だろ」
淳はそう言って名前の手を取る。
「帰るか」
「帰るって、何処へ?」
「とりあえず、屋敷へ。残ってるか分からないけどな」
淳と名前はそのまま神代屋敷のある方向へ向かう。
ふと名前が橋架の下を流れる眞魚川を覗くと、相変わらず川の水は赤く染まっていた。
しかしその赤が今では不気味なものには感じられず、何故かとても美しく見えた。
そして次第に名前の目には、川の水が澄んで見えて来るのだった。
そう、幼い頃に淳と遊んだ日のように。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(本当は全てが欲しかったんじゃない、俺が本当に欲しいのは……)