―1998年7月20日
ラクーンシティ郊外にひっそりと聳え立つ洋館。
その洋館の地下にあるアークレイ研究所にウェスカーはいた。
かつてこの研究所はアンブレラが開発したT-ウィルスの研究拠点として使われてきた。今となってはウィルスの漏洩事故により無人となっているが、アンブレラ上層部はまだこの研究所に利用価値があると判断し、閉鎖してはいるものの解体を見送っている。そしてこの研究所は、ウェスカーにとってもまだ必要な場所だった。
ウェスカーは研究所の最深部・主要研究室にいた。室内は薄暗く、部屋の中央にはいくつもの培養槽が並び、その一つ一つに実験体が眠っている。
ウェスカーはそれらの脇を通り過ぎ、サングラス越しにある一点を見詰めていた。
突き当たりで足を止めた彼の目前には巨大な培養槽があり、その中には巨人のような生物が眠っている。培養槽には実験体に割り振られるコードナンバーと共に「タイラント」と言う名前が刻銘されている。
T-ウィルスの正式名称「T」から「暴君」と命名されたこの生物は、当時のアンブレラ研究員達の叡智が結集されて生まれた究極のB.O.W.だった。
タイラント開発の主導者は当時ウェスカーと共に研究所の主任研究員に任命されていたウィリアム・バーキンという男で、常人には思いも寄らない奇抜な発想で数々の研究成果を叩き出し、十代にしてアンブレラ幹部にまで昇り詰めた天才科学者だった。
ウェスカーは無言のままタイラントの眠る培養槽を見詰める。だが、その脳裏に浮かんでいるのは全く別の存在だった。
「名前……」
あの日、お前はここで……。
ウェスカーはかつてこの場で自分が研究者として活動していた過去、そして同僚の存在を思い返していた。
名前・苗字。彼女はアークレイ研究所に勤務していた研究員で、名前、ウェスカー、バーキンの三人は互いに幹部養成所にいた頃からの同期だった。
三人は他の研究員達と同様互いにライバルでもあったが、あからさまに敵対視するということはなく、寧ろそれぞれの才能を認め合う親しい間柄だった。
バーキンは独自の方法でT-ウィルスに関連する実験を進め、その新たな特性を発見する。名前はバーキンの実験結果を上層部に報告しても問題がないか詳細な調査を行い、分かりやすくデータをまとめる。私は名前がまとめたレポートを元に、T-ウィルスをどう応用すれば、より生産性が高く強靭なB.0.W.を生み出せるか研究する方法を行っていた。
それぞれが得意な役割を果たしていたことで、私達はアンブレラで着実に実績を重ねていった。そうしてアンブレラの一大プロジェクトであるタイラントの研究に参加できるようになるまでの道のりは、とても容易なことではなかった。
アークレイ研究所で行われていた実験は、養成所で実験研修を行ってきた研究員達でさえ恐怖するほど倫理観のないものだった。それでも同じ光景を目にしている内に、次第に研究員達はそれが当然であるかのように感覚が慣れていく。
中には耐えられず研究所から脱走しようとしたり、研究方法に異を唱える者もいたが、そういった研究員は情報保護のため秘密裏に消されてきた。
養成所時代から私とバーキンは、常識では異常と思われるような実験も抵抗なく行うことができた。だが名前は養成所にいた頃から実験現場に顔を出すことはあっても、実験そのものには関わらない調査やレポートをまとめる役割に徹していた。
「君がここで行われている実験に賛成できないのは分かる。だが、アンブレラでなくても製薬企業はたくさんある。何故アンブレラにこだわるんだ?」
ある時私は名前にそう尋ねた。彼女がアンブレラにこだわる理由は何なのか、私はそれが気に掛かっていた。
「……ここで行われている実験には賛成できない。でも、T-ウィルスの研究が出来るのはアンブレラだけでしょう。T-ウィルスが多くの人に適合するようになれば、いずれ大きな発展に繋がる」
「発展?」
「ええ。今はただB.O.W.開発のためにT-ウィルスの研究を進めているけど、いずれウィルスを巧く利用して、より人類が進化する日が来ると思う。私はそれを見届けたい……そう思っているの」
そう言った名前は私に背を向けてその場を後にした。思えばそれが、私と名前が最後に交わした会話だった。
―――――
翌日。私はタイラントの経過を観察するため主要研究室に向かった。いつものように経過記録用のシートやデータファイルを持って研究室に入り、部屋の明かりをつける。
そうしてタイラントの眠る培養層に向かう途中、異様な光景に足を止めた。
培養槽の前に白い塊――白衣を着た研究員が倒れていた。見覚えのある姿に嫌な予感がした私は、すぐに研究員を抱えた。
「……名前!」
気絶していたのは名前だった。顔にかかった髪を掻き分けると、死人のように蒼白な顔をしている。
「名前、一体どうした!?」
そのとき、名前の側にT-ウィルスの入った注射器が転がっているのが目に入った。取り上げて見ると、その中身は半分ほど減っている。
――まさか。
急いで名前の白衣の袖を捲ると、そこには注射痕が残っていた。
「名前、何故……!」
私は名前を抱え研究所にある治療室へ運ぶ。バーキンも事態を知ると、飛ぶように治療室へやって来た。
治療室へ運んだものの、T-ウィルスはまだ開発の途中であり、ワクチンなど開発されていなかった。私とバーキンは名前に抗生物質を投与する治療を行ったが、それは精々T-ウィルスの進行を遅らせる程度の効果しかなかった。
私達に成す術は無く、名前の体はT-ウィルスによる異常な代謝の向上により、所々肉が剥がれて骨が剥き出しになっていった。ウィルスの脅威は凄まじく、どう見ても名前の回復は絶望的だった。
そして、思いつく限り行ってきた治療の甲斐も虚しく、たった数日で名前の体はT-ウィルスに侵蝕され、そのまま生ける屍――ゾンビとなってしまった。
他人に余り関心を示さないバーキンも今回のことには珍しく落胆し、行き場のない苛立ちを見せていた。
「なあ、どうしてだよウェスカー!?何故、名前がこんなことに……」
「私にも分からない……」
「誰かに打たれたんじゃないのか?僕には名前が自分で打ったとは思えない!」
「……いや。名前が自分でT-ウィルスを投与している瞬間が、監視カメラの映像に残されている」
「……う、嘘だろう……名前、君はどうして……」
頭を抱えるバーキンの肩を私は支えることしかできなかった。嘘ではなく、本当に私にも真実は解っていないかった。
名前……何故私達に何も言わず、こんなことを。
信じたくないが、よりT-ウィルスの特性を理解するために自分の体を使ったというのか。
君ならば十分知っていた筈だ。T-ウィルスを打てば、抗体が体内に無い限り、もう真人間に戻れないことを。
それなのに、何故……
―――――
その後、私は「名前は研究中、不慮の事故でウィルスに感染し死亡した」として報告書を提出した。
だが名前が死に至った経緯については不明なため、彼女はバーキンの個人研究室に隔離することにした。名前がこうなった理由を解き明かすまで、私もバーキンも名前をゾンビのまま死なせるつもりはなかった。
そうしてバーキンはそのままアークレイ研究所に残り、私は研究員を辞めてアンブレラの諜報部に転属した。バーキンは名前の安全を確保し、私は諜報部で活動しつつ、名前に関する情報を調べる日々が、その日から始まった。
アークレイ研究所閉鎖後、名前はバーキンと共にラクーンシティの地下研究所へ密かに移送された。ウェスカーが諜報部に異動後、バーキンはT-ウィルスだけでなく新たに発見したG-ウィルスの完成を目指し、同時に名前のため、ゾンビを人間に戻す方法はないか研究を続けている。
そして、ウェスカーも行動を起こすときが来た。
今まで目前に眠るタイラントを見詰めていたウェスカーは、静かに踵を返す。
「タイラント……お前も名前のため、利用させてもらおう」
上層部の命令により、近いうちにタイラントのデータを回収することが決まっている。その中には名前の治療に役立つ新たな情報が見つかるだろう。
研究室を後にしたウェスカーは隊服を着用しており、その背にはS.T.A.R.S.の文字が刻まれていた。
―――――
―1998年7月24日
ラクーンシティ郊外で頻発している猟奇殺人事件調査のため、先日ラクーン市警特殊部隊S.T.A.R.S.ブラヴォーチームが出動した。だが、ブラヴォーチームの消息が突然途絶えたことにより、急遽アルファチームが捜索、応援に出向くことになった。
しかしアークレイ山地を捜索中、突如現れた野犬の群れにアルファチームの隊員達は襲われ、撤退を余儀なくされる。野犬に食い殺されまいと、アルファチームの隊員たちはリーダーであるウェスカーの後を必死に追った。
「お前達、こっちだ!」
「ウェスカー隊長……!」
ウェスカー、クリス、ジル、バリーは目の前に現れた洋館に逃げ込んだ。
これが、長い因縁の始まりとも知らず―。