「……私の寿命もあと僅かだ……しかし、お前という才能を創り出せただけでも意義はあった」
スペンサーはそう言いながら、窓際に立つウェスカーの方へ車椅子を動かす。
ウェスカーがスペンサーの方を振り返ると、そこには車椅子からヨロヨロと立ち上がろうとするスペンサーの姿があった。
「神の資格を持ちながら、肉体の限界に逆らえぬとは……」
かつてはアンブレラの伝説といわれた英傑が、今や老いて体中に延命措置の管を繋がれ、自分の足で歩くことすら儘ならない。スペンサーのその姿は、そのままアンブレラの栄枯盛衰を表しているようだった。
「何とも皮肉なものよ……」
我が身を嘆くスペンサーを、ウェスカーはただ見下ろす。
老い先短くも生を求める貪婪な瞳と、無情な光を宿す赤い瞳が交差した。
「神か……なるほど。では……それは俺が引き継ごう」
雷鳴が鳴り響く。
それとほぼ同時に、血飛沫が舞った。
雷光が、スペンサーの体を手刀で貫くウェスカーの姿を映し出している。
心臓を貫かれたスペンサーは、瞠目してウェスカーを見ていた。
アルバート・ウェスカーという「息子」は、どこまでも自分に逆らいはしないと思っていたのだろうか。
俺は、お前の操り人形ではない。
ウェスカーが手刀を引き抜くと、スペンサーは血を吐いてガクリと崩れ落ち、そのまま動かなくなった。
横たわるスペンサーを、ウェスカーは無情な目で見下ろす。
「……神の資格?笑わせるな。貴様にはそれを口にする資格すらない……その言葉を口にして良いのは、真に力ある者だけだ」
雷光に照らされたウェスカーの目は静かな怒りに燃え、禍々しいほどに紅く炯った。
他人を利用し、価値がなくなればかつての友であろうと殺害し、最終的に自分だけが利を得ようとするその思考。
自分の手は一切汚さないよう立ち回り、影で生きてきた卑怯者に過ぎない男。
侮蔑、嫌悪に満ちた眼差しで、スペンサーはウェスカーを見下ろす。
「名前。お前はこんな男に命を奪われたのか。自分が生物界の神になるためならば、どんな犠牲も厭わない男に……」
だが、スペンサーのそういう性格はどこか自分に似ている気さえした。
自分が、生まれ持ってスペンサーに似た性格なのか。自分の思考回路すら、幼い頃から洗脳されていたからなのか。
どちらにせよ、ウェスカーは己さえも苛立たしく感じた。
「……俺は、こいつとは違う!」
ウェスカーは目を閉じ、強く拳を握る。
「俺には……名前がいる」
ウェスカーは床に転がるスペンサーの遺体に目もくれず踵を返す。
最早ここに用はない。見張りに気付かれて厄介なことになる前に、早々に立ち去る方が良い。
そう考えたウェスカーが部屋の扉に向かって歩き始めたとき、突然向こう側から扉が開いた。
そこにはかつての部下である、クリスとジルが立っていた。
「……またお前か、クリス」
「ウェスカー!」
いつでも自分の目的を阻む憎き存在。またしても鉢合わせたことに運命的なものを感じ、ウェスカーは嘲笑的に口の端を吊り上げる。
「そこから動くな!」
「……貴様らはどこまでも、私を怒らせたいらしいな」
ウェスカーはクリスの制止を無視し、クリスとジルの方へ歩き始める。二人はウェスカーに向かって銃を構えた。
ウェスカーがクリスとジルの間に踏み込み、手刀、蹴りを容赦なく打ち込んできたので、クリスとジルもそれに応戦する。ウィルスの力で手に入れた驚異的な能力を駆使し、ウェスカーはクリスとジルの銃弾を軽々とかわしていく。
「相変わらず、欠伸が出るような攻めだ。俺を必死にさせてみせろ」
「何……!?」
挑発するような言葉を投げかけられたクリスは、一瞬動きが鈍った。それを見逃さなかったウェスカーは一気にクリスに接近する。そして、張り倒すようにクリスの頭部を思い切り平手で叩いた。
「ぐっ……!!」
平手といえど、人ならざる力で頭を叩きつけられたクリスはそのまま吹っ飛び、壁に体を打ち付けた。
「クリス!!」
壁にぶつかった衝撃で、クリスはすぐに起き上がることができない。ジルが自分を呼ぶ声が遠くに聞こえるようで、意識が朦朧とする。
ウェスカーは口元に不敵な笑みを湛えたまま、蹲るクリスの方へ向かう。
スペンサーへの屈辱に似た怒り、自分の道を阻むクリス。それらがウェスカーの心に燃え上がるような憎悪を抱かせていた。
ウェスカーはクリスの首を掴み上げると、鬱憤を晴らすかのようにそのまま側にあった机にクリスを叩きつけて引き摺り、窓際に投げ捨てた。
「ぐあっ!!」
容赦なく床に投げつけられたクリスは受け身を取ることもできず、全身の痛みからそのまま起き上がることができなかった。悶え苦しむクリスの元へウェスカーはすぐに歩み寄り、再びその首元を締め上げる。
「……貴様ともここでお別れだ」
ウェスカーは手刀でクリスの心臓に狙いを定める。その目は、獲物を仕留める魔物のように赤く光っていた。
「クリス!……止めて!!」
そのとき、クリスを庇うため決死の覚悟で飛び込んできたジルが、ウェスカーの背中に体当たりした。その勢いのまま、ウェスカーとジルは窓を突き破って落下する。クリスは咄嗟にジルに向かって手を伸ばしたが、その手は空を掴んだ。
「ジルーッ!!」
クリスがすぐに割れた窓の下を覗き込むと下は断崖になっており、どこまでも続く暗闇だけが広がっていた。
―――――
「……くっ」
全身に響く鈍い痛みで、ウェスカーは目を覚ました。
ウィルスの影響で強靭な体を手に入れたウェスカーは、崖から落ちたところで簡単に死ぬことはない。暗闇の中目を凝らすと、コートから何まで、雨水と泥で汚れている。一体どれくらい気絶していたのだろうか。未だ遠くでは雷が鳴り響き、雨は叩きつけるように降り注いでいる。
ウェスカーがコートの襟を整えながらゆっくりと起き上がったとき、雨で滲む視界の先に、ジルが倒れていた。ウェスカーは立ち上がるとそのままジルの倒れている方へ近寄り、その脇へしゃがみ込む。
ウェスカーが気絶しているジルの脈を取ると、奇跡的にまだ脈があった。恐らく雨で地面が泥濘んでいたことから、致命傷には至らなかったのだろう。
……殺すべきか。
ウェスカーはジルに深い恨みはないが、彼女はSTARS時代からクリスの相棒といえる存在であり、クリスと共に自分の計画を阻んできた相手でもある。
これ以上俺の邪魔をするなというクリスへの警告として、ひと思いにこの心臓を貫いてやろうか……
正義感の強いクリスのことだ。ジルが死ねば、自分がアンブレラの陰謀に介入しようとすればするほど、大切なものを失うことになると思い知り、呵責の念に捉われるだろう。
禍々しいまでのクリスへの憎悪からそのままジルの首に手をかけたウェスカーだが、その刹那、ウェスカーの脳裏に悪魔的な知恵が閃く。
殺すよりももっと残忍にクリスを苦しめ、且つ自分の目的を遂行できる一石二鳥の手段を。
ウェスカーはジルの首から手を放し、その体を抱え上げる。
「……お前は私の研究材料になってもらおう、ジル。名前を取り戻す研究のために……」
そう呟いたウェスカーの言葉は雨音に掻き消されていく。
闇より深遠なものを胸に秘め、ウェスカーはスペンサーの屋敷を取り囲む鬱蒼とした森の暗闇に消えていった。
―――――