※ヒロイントリップ設定
「ギャアアアア!!で、出た!!」
「何ですか……まるで幽霊でも出たような口振りですね」
安土城の広大な庭を散策していた私は木の上に黒い何かが居るのを発見した。近付いてみると、そこには光秀さんがいた。
「な、何で木の上にいるんですか!?」
「蜜柑狩りをしていたんですよ」
私の問いに光秀さんは淡々とそう答える。
「蜜柑狩り?どうして光秀さんがそんなことを……」
「野暮なことを訊きますねえ。勿論食べるためにですよ。最近斬るのに飽きたので」
簡潔な答えのように聞こえたが、語尾の言葉の意味がよくわからない。否わからなくていい。
「ふう……それにしても、やはり自分の手で収穫するのは疲れますね」
「わざわざ木の上に登らなくても、何時も持ち歩いている鎌で収穫すればいいんじゃないですか」
「ああ、それは妙案です。名前にしては面白いことを思い付きますね」
「名前にしてはって、どういう意味ですか!」
「おやおや勘違いしないでください。私は貶しているのではなく褒めているのですよ」
光秀さんはそう言って軽々と木から飛び降りると、何処からともなく例の物騒な鎌を取り出した。
あなたは魔法使いか、それともやっぱり死神なのか。そもそもそんな得物を持ち歩きながらそれを使おうと思いつかないとは、光秀さんは以外と天然なのだろうか。
「名前、この蜜柑を持っていてください」
光秀さんはそう言って収穫した蜜柑をこちらに渡してくる。
「え、はい……」
「食べたら許しませんよ」
光秀さんが綺麗な笑顔を浮かべてそう言った。よく見ると目は笑っていない。
「食べませんよ!その笑顔止めてください!!」
私の言葉を聞いているのかいないのか、光秀さんは蜜柑の木を見上げて鎌を振り上げる。
「フフ……自分の手で採るのも良いですが、こうして狩るのも楽しいものですね。まるで首級を挙げるときのようです」
「…………」
蜜柑を首級に例えるなんて、光秀さんは一体どんな物騒な想像力をお持ちなのだろうか。
おかしい。光秀さんはただ蜜柑を収穫しているだけなのに、何故見ているだけの私がこんなに背筋がゾワゾワするのか。
光秀さんは不気味な笑みを浮かべながら蜜柑に狙いを定めている。私は光秀さんに狙われる蜜柑に哀れみを覚えた。
ザクッ
「ほら、採れましたよ名前」
「え……」
確かに、蜜柑は採れている。採れてはいるが、何だその採り方は。
「蜜柑に鎌が刺さってるじゃないですか!!」
「良いじゃないですか。味に変わりはありませんよ」
「そういう問題じゃないですって!!」
恐ろしい形の鎌の先端に蜜柑が刺さっている様は、どうみても滑稽だった。
「食べ物を粗末にしないでください」
「粗末にするつもりはありません。ちゃんと食べるのですから、名前が」
「何で私!?」
「ほら、差し上げますよ。私の蜜柑を持っていてくださったお礼に」
光秀さんはそう言って、鎌ごと私に蜜柑を差し出してきた。
「あー……丁度今お昼食べたので結構ですよ。光秀さんが食べてください」
「遠慮は要りませんよ名前。早く受け取って下さい」
「いや遠慮していません」
「おや、おかしいですね。何だか蜜柑ごと名前を切り刻みたい気分になってきました」
「貰わせていただきます」
こんなところで光秀さんの鎌の餌食にされたくなかった私は持っていた蜜柑を光秀さんに渡すと、鎌に突き刺さった哀れな蜜柑を抜き取った。鎌に刺さった部分から流れ出す蜜柑の果汁が涙に見えてきて、私は可哀相な蜜柑を我が子のように大事に擦った。
「……さあ、今度は名前の番ですよ」
「え?」
光秀さんはそう言ってこちらに鎌を渡してくる。
「いや、そんな光秀さんの武器を持つだなんて……」
私の言葉を無視して、光秀さんは私の手に鎌を持たせる。
「お、重ッ!!」
普段から蒼白の細い腕でこんなに重い鉄の塊を持ち歩くなんて、一体光秀さんの握力はどうなっている。やっぱり光秀さんは死神なのか。
「おやこれは失礼……あなたは普段武器を手にしない方でしたね。ですがコツを掴めばそれほど重くないのですよ」
「む、無理です……持ち上がりません」
「大鎌は先端の刃が重いので、その重力に任せて振り上げたり下ろしたりすれば良いんですよ」
「くっ……このっ!!」
光秀さんのアドバイスを頼りに渾身の力を込めて鎌を振り上げようとしたが、その反動で鎌の柄が私の手から滑り落ちた。
私の手から離れた鎌がスパッと光秀さんの目の前で振り下ろされる。光秀さんの綺麗な銀の前髪が数本切れてハラハラと落ちた。
「名前」
ガシャンと床に落ちた鎌に目もくれず、光の速さで光秀さんが私の首を引っ掴んだ。
「収穫に乗じて随分と大胆なことをしますね……私を殺す気ですか?」
「ちっ、違います……今のは不可抗力っ……ぐえっ」
私の弁明も虚しく、光秀さんは私の首を掴む手に力を込め、ギリギリと私の首を絞め上げてくる。
苦しさの余り私が白目を剥き始めた頃、光秀さんの手がパッと離れて、私はその場に崩れた。
ゲホゲホと咳き込む私を、光秀さんは面白そうな表情で見下ろしている。
「なかなかいい顔をしてくれますね。名前は苦しめ甲斐がありますよ」
「く、苦しめ甲斐って、何ですかそれ……」
「私なりの褒め言葉ですよ。フフフ……」
光秀さんのような変態に変態的に褒められても何も嬉しくない。
「仕方がありませんね。名前はおっちょこちょいなので私がやります」
光秀さんはそう言って落ちていた鎌を軽々と持ち上げると蜜柑狩りを再開する。
光秀さんが蜜柑狩りに励んでいる間に私は一刻も早く光秀さんから逃げ出したかったが、光秀さんに首を絞められたことで意識が朦朧とし、暫く側にあった木に寄り掛かって光秀さんの様子を眺めることしか出来なかった。
「……さて。今日はこれぐらいにしておきましょうか」
あれから数十分後、光秀さんはぽつりとそう言った。
光秀さんの腕の中には、収穫された蜜柑が山のように積まれている。
既に日が暮れ始め、光秀さんの腕の中の蜜柑が夕陽に照らされて艶々と光っていた。
「じゃあ、私はこれで……」
やっと呼吸が整い始めていた私は立ち上がり、これ以上光秀さんから危害を加えられないようその場を後にしようとした。
ガシッ
「え……」
光秀さんから背を向けようとした時、何かに思い切り肩を掴まれた。
振り返ると、そこには光秀さんが立っていた。
「な、何ですか光秀さん……?」
「名前、今日はありがとうございました」
「そう言われても……私は何もしていませんよ」
私がやったことと言えば光秀さんの姿を見て絶叫したことと、誤って光秀さんに鎌を直撃させかけたことだけで、蜜柑狩りに役立つようなことは何もしていない。
「何を言っているのですか。私は名前と一緒に居るだけで、とても充実した時間を過ごせるのですよ」
光秀さんはそう言って私の手に幾つか蜜柑を乗せると、鎌と蜜柑を抱えながら去っていく。
自然な態度で光秀さんに意外なことを言われた私は、思わずそのまま光秀さんの後姿を見詰めた。
そのとき、突然光秀さんが振り返る。
「名前。私の見たところ、あなたには武器を扱う才能があるようです」
「武器って……私が、光秀さんの鎌を、ですか?」
私の問いに、光秀さんはええと頷く。
「今は未だ未熟で扱いも儘ならないですが、柄の持ち方や振り下ろし方については目を瞠(みは)るものがありました」
「はあ……そういうものなのでしょうか」
「今度、私があなたに鎌の扱い方を教えて差し上げましょう」
「え……?そんな、遠慮しておきます!!」
「あなたも織田軍の傘下にいる以上、武芸の一つでも身に付けておいた方が宜しいと思いますよ」
「それは、そうなんでしょうけど……」
いきなりそんなことを言われても。
さっき自分が殺されかけた相手に武器の使い方を教えようだなんて、一体どういう風の吹きまわしなのか。
そんなことを考えている内に、何時の間にか私の目の前に光秀さんが立っていた。
「……おや、お嫌ですか?」
「お気持ちはありがたいのですが、いきなりそんなこと言われて、も……」
何故だろう。こちらを見下ろす光秀さんは笑顔を浮かべているだけなのに、何故か有無を言わせない凄みを感じさせる。
長い睫毛に縁取られた神秘的とも悪魔的とも見て取れる光秀さんの目を見詰めている内に、私の言葉が途切れていく。
夕陽が光秀さんの顔に影を落とし、銀髪の影にある光秀さんの目が陽の光を受けて妖しく光っている。その表情は、まるで夕闇に現れた死神のようだった。
「遠慮する必要はありませんよ。安心してください……私は信長様と違って手厳しく致しませんので」
私からしてみれば光秀さんは信長様とはまた違った恐ろしさがあるのだが、そんなことは今の私には口が裂けても言えない。
光秀さんの瞳に宿る禍々しくも神秘的な光を前にして、私のような常人には何も成す術がないことを私は思い知る。
そして私の前に残されているのは、ただ一つの選択肢だけだった。
「……よろしく、お願い、します」
気付けば私の口は、光秀さんに向かってそう言っていた。
私の手から光秀さんに貰った蜜柑が零れ落ちる。
私を見下ろす光秀さんの口元が艶やかに弧を描いた。
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
(何時か戦場で私と一緒に首狩りしましょうね)
(お断りします)