心的外傷苛禍3

蛇ノ首谷を抜けた後、宮田はそのまま病院に向かっていた。
途中、宮田は灰山のように目から血を流して徘徊する村人を何人か見たが、また襲われては堪らないので、余り人目に付きにくい道を選んで、懐中電灯を頼りに夜道を歩き続けた。

上粗戸に差し掛かる頃には夜も明けていたが、粗戸周辺は雨後の霧に包まれていた。
病院までの道のりを大分迂回してきたからだろう、足が鉛のように重い。
宮田は側にあったバス停の停留所のベンチに座る。雨で泥濘んだ山中を歩き回っていた所為で、靴は泥だらけになっていた。
暫くそうして大人しく座っていると、昇り始めた朝陽が霧に覆われた周辺を照らし始める。そこには宮田には見覚えのない景色が広がっていた。

「……これは」

霧の向こうに見えたのは、木造の民家や食堂などの商業施設が建ち並ぶ風景だった。
昔からこの辺りは羽生蛇村の中心市街地として栄え、最近ではコンビニも整備されていた。

何故こんな古い建物が……ここは一体……
やはり、何かがおかしい。
まるでタイムスリップでもしたかのような……

宮田はベンチから立ち上がると、改めて周囲を見渡す。

変わり果てた村、村人達。
そしてあの不気味なサイレンの音……

「助けて!!」

突然の悲鳴と共に何かが宮田の背中にぶつかり、背後を振り返った宮田は驚いた。

「なっ……美奈!?」

そこに居たのは、自分が殺した筈の恋人だった。
宮田が動揺する様子にも構わず彼女は宮田の言葉から何かを察したらしく、ハッとした顔をする。

「もしかして宮田先生?私、恩田美奈の妹です。理沙です!」
「妹……?」

走ってここまで来たのか、息を切らしながら美奈の妹、理沙はそう名乗る。

「私、お姉ちゃんに会いに行こうとして……お姉ちゃんは無事なんですか?お姉ちゃんは何処ですか?」

目の前で話す彼女は美奈に瓜二つだったが、その雰囲気や話し方が美奈とは違うので、宮田は理沙の言葉を信じることができた。

「……双子か」

美奈も自分と同じ双子だったことは、今まで宮田も知らなかった。
一体どうしたものかと宮田は思案する。美奈の妹だという以上、理沙をここに置いて行く訳にもいかなかった。

「私も美奈さんを捜していたんだ。取り敢えず一緒に病院に」
「……はい」

宮田はそう言うと、理沙を連れて病院へ向かうことにした。

宮田と理沙は上粗戸を抜けると、眞魚川に沿いながら宮田医院の方角へ歩き続けた。
そうして霧の向こうに病院の影がぼんやりと見えたとき、宮田は安堵した。もしかすると病院もこの異変で消滅しているかも知れないと危惧していたからだった。

宮田は病院へ入ると理沙を連れて第一病棟の診察室に入る。
宮田が入口の側にある診察デスクを見ると、そこにはカルテが散らばっていた。
誰がカルテを引き出したのか。宮田は乱雑に広げられているカルテの一枚を手に取って見る。だが、それは宮田が見たことのない患者のカルテだった。

「どうなっているんだ……?」

宮田がデスクを探っている間、理沙は診察室の窓から病院の中庭を覗いていた。

(お姉ちゃん……一体何処なの……?)

宮田と同行してから、理沙は随分と落ち着きを取り戻していた。緊張から解放された理沙は気が抜けて、そのままぼんやりと霧に包まれた中庭を眺めていた。

「理沙……」
「?」

ふと自分の名を呼ばれた気がして理沙は辺りを見回すが、側には誰も居ない。
すると、中庭の霧の中に人影が浮かび上がった。

「……お姉ちゃん?」

理沙の言葉を聞いて、宮田の行動が止まる。

(馬鹿な……美奈は死んだ筈だ!)

宮田はすぐに理沙の立っている窓際に駆け寄ったが、そこに人影はなくただ霧が立ち込めているだけだった。

「……美奈さんが居たんですか?」
「……よくは分かりません。でも、ナース服を着た人が立っていました」

そのとき突然診察室の扉が開いたので、二人は思わずそちらを見た。
そこには牧野が立っていた。

「牧野さん……無事だったんですね」

自分を見る宮田の何処か冷たい視線に、牧野は萎縮するように視線を落とした。

「あの……ここに前田さんのところの中学生の女の子が来ていませんか?」
「いや……一緒だったんですか?」

宮田の問いに牧野は所在なさげに俯く。その牧野の反応から、同行中に何かあって逸(はぐ)れたのだろうと宮田は何となく察した。

「一緒だ。先生も双子?」

宮田と牧野の顔を見て理沙がそう言ったので、宮田と牧野の雰囲気が一瞬強張った。

「ええ……まあ」

宮田はそう答えて牧野から顔を逸らす。牧野も相変わらず目を伏せ続けていた。

「あ、えっと……私、お姉ちゃんが居ないか捜して来ますね!」

宮田と牧野の表情を見て、何か触れてはいけないことを言ってしまったと気付いた理沙はそそくさと診察室から立ち去る。

「前田さんの娘さん捜し……協力したいのは山々ですが、私も患者の無事を確かめなければなりません。外は危険でしょうから、牧野さんはここに居てください」
「で、でも知子ちゃんは……」
「酷な言い方だとは思いますが、あの子ももう幼くはないんですから、何処かに隠れるなりして自分の身くらいどうにか守れる筈です。それでも心配なら捜しに行かれたら良いでしょう」

宮田はそう言うと、牧野の返事も聞かずに診察室を出た。

―――――

院内を見回り始めると、宮田はすぐに異変に気付く。
見たことのない病室があったり、あった筈の廊下が壁で塞がっていたりと、村が変わっていたように病院の構造まで変わってしまっていた。
これでは患者の無事を確かめる前に自分が迷ってしまい兼ねない。
取り敢えず手当たり次第に病室を見付けては中の様子を確認したものの、そこには誰ひとりとして患者の姿は見当たらなかった。

「名前……」

この様子では名前の病室を見付けるのにも時間が掛かりそうだ。
いや、その前に名前の病室が存在しているのかどうかさえも分からないが……

そのとき、突然何処かから非常ベルが鳴り響いた。

「くっ……こんな時に」

美奈を捜しに出た理沙か牧野が鳴らしたのだと思った宮田は、非常ベルの音が聞こえる第一病棟へ走る。

宮田が第一病棟の廊下に駆け付けると、そこには呆然と立ち尽くす牧野と、怯える理沙ににじり寄る看護服の女が居た。

「美奈……」

見覚えのある看護服の女は、美奈だとすぐに分かった。だが、宮田を振り返った美奈の顔には生前の面影はなく、海産物が顔に貼り付いたような怪物に変貌していた。

「二人共、美奈さんから離れてください!」

宮田は護身用に診察室から持ってきていた硫酸瓶を美奈に投げ付ける。途端に美奈は悲鳴を上げ、側にある階段を駆け上がり逃亡した。

「お姉ちゃんが……先生……!!」

理沙は泣きながら、震える手で宮田に縋った。

「……すみません、助かりました」

牧野は申し訳なさそうに俯き宮田に言う。

「仕方ないですよ。慣れていないんだからこういうことに……牧野さんは」

宮田は理沙を宥めながら、美奈の去った階段を見上げる。

「後を追ってみます、理沙さん」

宮田はそう言うと美奈を追って階段を駆け上がった。

―――――

そうして宮田は美奈を追って院内を歩き回ったものの、何処へ隠れたのか美奈の姿は何処にも見付からなかった。

もしかすると、美奈は理沙達の方へ向かったのではないか?

そう思った宮田は急いで第一病棟の廊下へ引き返したが、既に理沙と牧野の姿はなかった。二人で診察室に戻ったのだろうか。宮田はその足で診察室に向かい、扉を開けた。

「…………」

部屋の中には、誰の姿もなかった。

「一体、何処へ……」

この非常時に、勝手に院内をうろつくとは……
仕方がない。美奈を捜しつつ、理沙と牧野のことも捜すとしよう。

そうして宮田が診察室を出ようとしたとき、反対側から扉がガチャリと開く。扉の向こうには蒼白い顔をした看護婦が立っていた。

「せんせーい……」

彼女は宮田に向かって両腕を伸ばし、ゆっくりと近付いてくる。

「美奈か?……いや……」

看護婦の顔は美奈に似ていたが、雰囲気が違っていた。それは妹の理沙だと宮田はすぐに見抜いたが、そうは分かっていても美奈によく似たその姿に、嫌な記憶が胸を掠める。

『先生は、牧野さんとは全然違うんですね』

美奈に言われたあの言葉が宮田の胸を過ぎる。

「くっ……一体何のつもりだ……」

宮田に近づいてきた理沙は、宮田の首に手を回し、首を絞めようとしてくる。

「止めろ……っ!」

宮田は理沙の手を振り払うと、美奈の時と同じように、その首に手を掛けていた。

「やっぱり双子だな……死に顔までよく似ているよ」

宮田は歯を食いしばりながら理沙の首を締め上げる。理沙の抵抗する力は弱く、数分もしない内に呆気なく動かなくなった。
しかしそれも束の間、理沙の目からは赤い血が流れ始め、ケラケラと不気味な笑い声を上げ始めた。

「……止めろ……笑うな。止めろ……止めてくれ!!」

まるで自分の愚行を嘲笑うような声に耐えられなくなった宮田は、理沙の体を突き飛ばした。
床に叩き付けられた理沙はそれでも笑いを止めず、ユラリと立ち上がり宮田の方へ向かってくる。

「本当にしつこい女だな……」

宮田は思わず溜息を吐く。

人間というのは……本当に勝手な存在だ。
兄さん。突然院内に駆け付けたと思えば、見失った少女の行方を尋ねてくる。
美奈。俺が兄を敬遠していることを知っていて、俺の前で俺と兄を比較する。
理沙。突然俺の前に現れて、美奈の行方を尋ね出す。
そして、自分の都合や心情で他人を殺害する俺。
皆、他人のことを思っているようで、自分の都合しか考えていない。
それはこうして怪異に巻き込まれても、変わることはない。

宮田は徐に、護身用に持っていたネイルハンマーを白衣のポケットから取り出す。

「女だからと言って……俺は容赦しない」

宮田の手に握られた凶器が不気味に光る。
診察室に骨肉が潰れる音と、理沙の絶叫が響き渡った。

―――――

理沙をネイルハンマーで始末し、診察室に監禁した後、宮田は地下ボイラー室に隠れていた美奈を見付け、理沙と同じように倒した。そうして一人ずつ中庭にある地下実験室へ連れて行き手術台に拘束する。拘束から逃れようと絶叫し、暴れ回る美奈と理沙を宮田は冷徹な表情で見下ろす。

首を絞められても、どんなに殴られても死なない、不死身の肉体。
もうこの二人は、ただの人間ではない。

「……君達の正体を確かめさせてもらう」

宮田医院長として……俺はそれを知る必要がある。
恩田姉妹の体を見下ろしながら、宮田はその手にメスを握った。

一方見失った宮田の後を追い院内を探索していた牧野は、中庭に入って行く宮田の姿を見掛けて地下実験室の扉を開けた。
その先に広がる光景に、牧野は言葉を失う。

「な、何を……これは……」

扉の向こうには血塗れの美奈と理沙、そして血飛沫が付いた白衣を着た宮田が椅子に座って何かを書き込んでいる姿があった。
宮田は牧野が来ることを分かっていたかのように驚くこともなく、足下に転がっている臓器らしきものをグシャリと踏み潰して牧野を見た。

「待ってましたよ……永遠の命の種明かしですよ」

宮田は真顔のまま牧野に向かってそう言うと、側にあった机の上に自分が書いていたものを放り投げる。
牧野がそれを手に取って見ると、どうやらそれは美奈と理沙について書かれたカルテのようだった。
カルテに目を通した牧野は思わず息を呑む。そこには体を切断、切開した記録が記されていた。

体内に見られる赤い液体に赤血球存在せず……
別種の結晶……治癒と再生……

所見の欄にそう記されていたが、牧野には意味が分からなかった。
一通り目を通した後、牧野は美奈と理沙を見た。
死んだように横たわる美奈と、拘束から逃れようと暴れ回る理沙。よく見ると、白い布で覆われた理沙の足元から、複数の手や足のようなものが見えている。

「どんなに切り刻んでも自己再生しちまう……これじゃあ俺も用無しだ」

宮田は脈打っている臓器のようなものを手にしたまま、そう呟く。
その異様な姿に、牧野は恐怖と吐き気を覚えた。

「……く、狂ってる……!!」

牧野はそう叫ぶと、逃れるように実験室を飛び出した。



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