・『Overture to Rebirth』の続編であり、オリキャラ登場します
・一部原作沿い 時系列、ウィルスの設定など多少変更しています
・アレックス・ウェスカーの性別変更あり
・ナタリア成り代わり設定あり
地図に記されていない孤島、ザイン島。海に囲まれたこの島には、数年前に建設された巨大な研究施設が聳え立っている。
新薬開発のために建てられた研究所らしいが、そこで具体的に何が行われているのかは、島の人間にさえよく知られていない。
休むことなく稼働するこの施設では、今日も朝早くから研究員達が仕事を始めていた。
その一室へ、コツコツと靴音を高らかに響かせて一人の男が入ってくる。男を見ると、実験作業をしていた研究員らは一斉にその手を止めた。
「おはようございます。アレックス様」
「ああ。おはよう」
アレックス・ウェスカーは、研究室の一同を見て笑顔で挨拶する。そして、すぐに主任研究員がアレックスの元に近付いてきた。
「アレックス様。本日はどのようなご用でこちらに?」
「先日始めた実験の結果がもう出ている頃だろう。それを知りたくて来たのだが」
「そ、そうでしたか。……それが、その……」
アレックスに尋ねられた研究員は言葉を濁し、そのまま俯く。その顔は蒼褪めていた。
その表情の意味を悟ったアレックスは小さく溜息を吐く。
「もっ、申し訳ございません! 次こそは……!」
足下に跪こうとする研究員を見て、アレックスはそれを制止する。
「やめてくれ。私は君を責めている訳じゃない」
アレックスは研究員の両腕を掴んで立たせると、労わるようにその肩に手を置いた。
「君はこれまでもよく結果を出してくれた。今回の実験は今までにない新しい試みだ。私はそれを数回の失敗で咎めたりはしないよ」
「アレックス様……」
「今度はこのサンプルを元に、前回と同じ方法で実験を進めてくれ」
アレックスはそう言うと、研究員にウィルスサンプルの入ったケースを渡した。
「はっ、はい! 畏まりました!」
サンプルを受け取った研究員は早速準備に取り掛かり、他の職員らへ指示を始めた。
彼らが仕事に勤しむ様子を見届けたアレックスは、すぐにその場を後にする。
研究所の廊下を歩きながら、アレックスは人知れず深い溜息を吐いた。
「またしても失敗か……」
実験が失敗に終わったと知り、アレックスは人前でこそ平静を装ったものの、内心焦りを感じていた。
数年前、アレックスは新薬開発のためとして、このザイン島に巨大な研究所を建設した。その資金源は、アンブレラ総帥・スペンサーから融資されたものだ。
ウィルスによって齎される新時代を見ぬまま老いていく自分の身体に、スペンサーは焦りを感じていた。そこで彼は〈ウェスカー計画〉の生き残りの一人、アレックスに不老不死に関する研究を行うよう莫大な資金を提供する。
スペンサーはこれまで我が子のようにアレックスに接し、何不自由ない生活を与えてくれた。そしてアレックスもスペンサーを幼少より実の父のように思っていた。
それ故にアレックスはスペンサーから不老不死に関する研究を一任されたとき、何としてもその期待に応えたいと思っていた。
しかし研究を進める最中、突然アレックスの体は病に侵された。それは原因不明のもので、アレックスは容態が悪化するほどに体だけでなく心も蝕まれていった。
死が身近に迫るのを感じると、次第にアレックスはスペンサーについて考える余裕を失っていく。追い詰められた精神状態では、不老不死の研究にも没頭できなくなった。
いかなる思想も、野望も、死という現実の前には無力だとアレックスは身を以て思い知った。
私は死にたくない。まだ死ぬ訳にはいかない。
死への恐怖から、最終的にアレックスは自身の命を優先させる道を選んだ。
そしてある日、アレックスはスペンサーから渡された資金を持って逃亡した。スペンサーの命ではなく、自分の命を救うために。
ただし生死を迫られている状況とはいえ、アレックスも無計画にスペンサーの元から逃げた訳ではない。事前にどこへ逃亡するかの目処は付けていた。
なるべくスペンサーの追手や監視の目が届かないような場所。アレックスはあらゆる情報網を使い、その場所を必死に探し求めた。
果たして、その場所はあった。それは地図に記されていない無国家の島・ザインだった。
アレックスはスペンサーから渡された資金を持ってザイン島に降り立つと、島民に自分が製薬企業の人間であることや、今後島に新薬開発の研究所を建てることを説明した。
しかし素性もよく分からないアレックスのことを、最初から島民が信用する訳がない。そこでアレックスは研究所設立後、経験の有無を問わず島民を職員として雇用することを約束する。
島民は鉱山業を主な生業としていたが、炭鉱が枯渇し始めるにつれて貧しくなり、遂に廃坑になると国家にさえ見捨てられた孤島となっていた。
収入が得られない以上島を出るしかないため、人口も徐々に減少している状態だった。
それでも今まで島から出たことのない一部の島民は、島を出ようとはしなかった。外界への排他的な思考や恐怖心から、一生を島で過ごすことを望む島民も一定数いたのだった。
そして残った人々は貧しいながらも、漁業や畜産業をしつつ自給自足で暮らしていた。
島がそうした状況にあったときに現れたのが、アレックスである。
日々の生活にさえ困窮する暮らしに追われていた島民達は働き口ができると聞いて、渋々ながら最終的に研究所の建設を受け入れた。
研究所設立後、そこではアレックスが病気を克服するためのウィルス研究が始まったが、それを知っているのはアレックス本人だけだった。
そしてアレックスは約束通り研究所で島民を雇用し、知識のない人々にも任せられる仕事を与えていく。
給与が支給されるようになると、島民の生活は自給自足で暮らしていた頃より安定したものとなっていった。
更に残った資金で鉱山の再開発も行い、それに応じて採掘現場の雇用や指示までアレックスが取り仕切るようになった。
アレックスは島の人々を奴隷のように扱うことはなく、誰にでも一人の人間として接した。
アレックスが島を訪れた当初、島民はアレックスを救世主だと崇める者と、得体の知れない怪しい人物と嫌悪する者に分かれていた。
だが有言実行するアレックスの姿に、島民の多くは次第に信頼を寄せていく。
やがては自分達を導いてくれる存在、心の拠り所として、アレックスに賛同する者の方が増えていった。
研究員にサンプルを渡し終えたアレックスは、研究所の離れにある別邸に向かっていた。
そこはアレックスの私的な空間でもあり、彼の使用人や限られた研究者しか立ち入れない場所だった。
書斎に入ると、アレックスは新しいアイデアを求めて棚中の資料を読み漁り始める。
そのまま数時間アレックスは資料に目を通していたが、急に息が苦しくなり胸を抑える。
もう、それほど自分に時間は残されていない。
命が続いたとしても、いつこの島がスペンサーに発見されるか分からないこともあり、それがアレックスの焦燥に拍車を掛けていた。
不安にさえ蝕まれるとは、何という有様だ。
若い頃や病に罹る前は、こんなことはなかった。
課題が難しくあるほど、積極的に挑戦しようと思えていた。
動悸を落ち着けるように、アレックスは深く息を吐く。
……だが、それも過去の出来事。
自信に満ちていたかつての自分と、今の自分を比べても何の意味もない。
「……これでは駄目だ」
アレックスは読んでいた資料を閉じると、部屋を後にした。
アレックスが向かったのは島の海岸だった。一人で落ち着きたいときや思案を巡らせたいとき、アレックスはよくこの場所を散策していた。
岸辺から海を見渡すと、この島は本当に孤島だと分かる。晴れた日でも見渡す限り一面の絶海で、空は茜色に染まり、水平線に陽が落ち始めていた。
「……」
その心臓のように赤い陽を見ると自分の命が沈みゆく様に感じられ、アレックスの目は悲しげに彼方を見る。
アレックスは病に蝕まれた自分の体は長くは保たないと思っている。だが、肉体の終わりが自己の終わりではないとも考えていた。
肉体が滅びようと、自分が生き続ける方法はないのか。それを考え続けたアレックスは、自分の記憶を他人に転移させる方法を思いつく。
アレックスはそれを、ウィルスの力で実現できないか模索していた。
いくらウィルスの力を以てしても「そんな神がかりなこと、とても無理な話だ」ともう一人の自分が否定する声も聞こえてくる。
だがアレックスは少しでも可能性があるなら、それが限りなくゼロに近いものであってもやると覚悟していた。どうせ死ぬなら、やれることをやって死ぬと。
前代未聞の実験にアレックスは全てを懸けることを決め、それを〈転生の儀〉と呼んでいた。
だが前例のない実験だけに、アレックスはあらゆる独自の考察と実験を重ねてきたが、それらは全て失敗に終わってきた。
先日研究員に渡したサンプルで新たなウィルスを開発できなければ、もうどのような手段を使おうと手詰まりかもしれない。
そんな思いが過ぎるほど、最近のアレックスは苛まれていた。
そしてアレックスは転生の儀について考える度、図らずも裏切ってしまったスペンサーのことを想うのだった。
「お父様……」
スペンサーから託された資金を持って逃亡し、自分の命を長らえようとしていることに、アレックスは自己嫌悪を覚えていた。
「……?」
俯くアレックスの前髪を撫でるように潮風が吹き抜けたとき、その風に乗ってはしゃぐような声が聞こえた。
アレックスが声のした方を見ると、そこには島民の女達がいた。
「あっ、アレックス様がこっちに気付いたわ!」
「馬鹿! アンタが騒ぐからでしょ!」
二人の女は海沿いにある家の影から、アレックスの方を覗き見るようにしていた。
アレックスはいつも細身の白いスーツを着ているので、遠目からでもすぐに彼だと分かる。
海風に揺れて輝くブロンドの髪は巻いたように緩やかな癖毛で、それが彫像のような顔立ちに、優雅な印象を与えていた。
時折一人で遠くを見つめているような謎めいた雰囲気、それでいて常に紳士的で洗練されたアレックスの人柄は、閉鎖的な島の人々にはないものだった。
アレックスのそうした魅力は、いつしか島の女達にとって羨望の的ともなっていた。
「……」
アレックスが女達をよく見ると、その足元は泥に汚れていた。近くには貝の入った網袋のようなものが置かれている。
アレックスには見覚えがない女だったが、恐らく漁業で生計を立てている海女だろうと思った。
先程までの陰鬱な表情を隠すように、アレックスは女の方へ片手を上げてにこやかに笑う。
「あっ! アレックス様が私に手を振ってくれたわ!」
「違うわ! あれは私に手を振ってくれたのよ!」
女達が騒いでいる間に、アレックスは二人の方へ近付いていく。
「仕事の邪魔をしたかな? 悪かったね」
アレックスがそう声を掛けると、女達は慌てて首を横に振った。
「い、いえ! 邪魔だなんてそんな……」
「私達はアレックス様にお会いできただけで……」
「ちょっと……」
うっとりと惚気出した女を、もう一人の女が腕を引っ張り押さえる。その様子をアレックスは微笑ましそうに見ていた。
「君達の仕事の邪魔になってはいけないね。今日はもう帰ることにするよ」
「アレックス様……」
名残惜しそうにする女達に、アレックスは笑顔を向ける。
「きっと君達にはまた会えると思うよ……近い内に、ね」
「え?」
「アレックス様、それはどういう……」
アレックスはそれ以上何も言わず踵を返し、研究所の方へ戻っていく。
アレックスに会えた喜びに歓声を上げる女達の声が遠くなった頃、アレックスは立ち止まった。
足下に目を落とすと、白い革靴が海岸の泥で汚れていた。革靴の白を飲み込む昏い土の色を、アレックスは見詰める。
それが今の、自分の心を表しているように見えて、アレックスは自嘲した。
白は好きだ。
暗黒を、穢れを、それが無いもののように美しく見せてくれるから。
故に私は白を纏う。
アレックスは懐からハンカチを取り出して屈み込む。そして忌々しげに靴に付いた泥を拭うと、元来た道を通って研究所に向かった。