翌日から、アレックスは別邸で新ウィルス開発の研究を進めていた。
アレックスは普段から別邸で過ごしていることが多い。それは一人で研究に集中したいというのもあったが、病気を隠すためでもあった。
自分が人前で発作を起こしてしまえば、研究員達に病気であることが知られるだけでなく、彼らに不安を与えることにもなる。
そのためアレックスは新しい実験方法を研究員に指示するときなど、自分が直接動かねばならないときのみ研究所に行くようにしていた。
今日もアレックスは一人、書斎で資料を読み耽り、自室で独自の実験をしていた。
体調は優れなかったが、アレックスには休んでいる余裕も、休もうとする気もなかった。
転生の儀を成功させなければ、自分の命はない。その焦燥がアレックスを動かしていた。
そうして不眠の日々が続いた数日後、以前アレックスが渡したサンプルの実験報告が届く。
「アレックス様、遂に実験が成功いたしました!」
「本当か!」
今度こそ、新たなウィルスを開発することに成功したのだ。研究員から実験成功の報告を受けたアレックスは大いに安堵した。
その新ウィルスは記憶を別の人間に引き継がせる作用があるという、正に〈転生の儀〉に相応しい性質を持っていた。この場合の記憶とは、人生経験や知識だけではない、人格や性格なども含まれる。
記憶を転移させるには、記憶を移す人間と、引き継ぐ人間の両方にウィルスを投与する必要がある。
そして記憶を移す人間が、記憶を引き継ぐ人間に輸血する、細胞を移植するなど身体の一部を渡すことによって、記憶の転移は完了する。
ただしこのウィルスには致命的な欠点があった。ウィルスを投与した人間が強い恐怖を抱くと体内でウィルスが暴走し、最終的には自我を失い、本能のまま生きる状態となってしまうのだった。
その原因は、恐怖を感じると体内で分泌されるノルアドレナリンが関係していた。ノルアドレナリンは恐怖を感じたときに精神を覚醒させる神経伝達物質だが、それにウィルスが触れることで異常反応を起こしてしまうのだった。
「ウィルスを投与した人間が強い恐怖心を抱かなければ、投与される前と変わらない状態で生きられる。しかし恐怖すればゾンビ化し、他人に記憶を移したり、引き継ぐこともできなくなるということか」
「はい。その通りでございます」
厄介なものだとアレックスは思ったが、他者から他者に記憶を移すという大掛かりな計画である以上、それだけのリスクは覚悟しなければならないのだろうと考えた。
アレックスはその特性から新たなウィルスに〈t-Phobos〉と名付け、早速転生の儀に適合する存在を探すことにした。
まずアレックスは島民以外の研究員を招集し、t-Phobosを使った実験計画について説明した。
研究所設立後、アレックスは島で雇用した研究員とは別に、数名の研究者をザイン島に集めていた。彼らの経歴は元アンブレラ研究員、個人研究者、闇医者など様々だが、裏世界では確かな知識と技術を有することで知られる者達だった。
彼らには倫理や法など関係なく、非人道な実験を行うことも厭わない。それ故にアレックスは彼らを島に呼び込んだのだった。
そしてアレックスから計画を聞き終えると、研究員達は言われた通り指示に従い、粛々と準備を進めていくのだった。
後日、アレックスは研究所で働く島民やその家族を労うためとして、別邸に来るよう招待状を送った。
招待状を送られた人々には、いつか島の海岸でアレックスに出会った女達もいた。
「前にアレックス様がまた会えると言っていたけど、このことだったのね」
「きっとそうよ!」
女達が嬉々として招待状に書かれた日時に研究所を訪れると、そのまま敷地内に通される。別邸は研究所とは違い洋館のような雰囲気で、見たこともない壮麗な空間に二人は見入っていた。
燭台に照らされた長い廊下を、使用人らしい男に連れられながら女達は歩いていた。
しかし廊下の曲がり角に差し掛かったとき、突然彼女らの目の前が真っ暗になった。
「きゃっ!!」
「何!?」
何者かが女達の頭に布を被せ、瞬く間に手足を拘束する。そして二人を担ぎ上げると寝台に乗せて運び始めた。
「何なの!?」
「誰か助けて!!」
女達の叫びは布袋に遮られてしまい、身体は寝台に縛られて自由に動かすことができなかった。寝台はそのままどこかの目的地を目指すように運ばれていく。
やがて女達を乗せた寝台が動きを止めると、頭の布袋が取られる。そこには彼女らを囲むように緑色の手術服を着た人々が立っていた。
今まで叫び声を上げ、藻掻いていた二人は、今度は混乱して言葉もなかった。
そのとき部屋の扉が開き、アレックスが颯爽と入ってきた。
「アレックス様!」
救いを得たように、女達は縋るようにアレックスの名を呼ぶ。
「た、助けてください! 私達、いきなりここに連れて来られて……」
以前海辺で見掛けた女だとすぐにアレックスは気付いたが、彼にとってそれは関心のないことだった。
アレックスは二人を見ると、この場に似つかわしくない優雅な笑みを浮かべる。
「君達をここに連れてきたのは、私の指示だ」
「……え?」
アレックスに告げられた意味が分からないというように、女達は困惑した目でアレックスを見詰める。
「君達。計画通り進めてくれ」
アレックスがそう言うと、女達の近くにいた人員が動き出し、再び視界を遮るよう女に目隠しがされる。
「嫌!!」
「アレックス様!? 待ってください!! これはどういう……」
女達の叫び声に、遠ざかるアレックスの靴音が止まった。
「この島の人間を見ていると、尽々思う……無知は罪だとね」
アレックスの言葉の意味が分からず、女達はただアレックスの名を呼んで必死に助けを乞い、震える唇から啜り泣きの声を零す。
「……ある日突然やって来た異邦人が、生計の道を与えるといった時点で追い出すべきだった。無条件に、他人に何かを与える人間などいない。無償より高いものはないのだよ」
アレックスの言わんとしていることを女達もひしひしと感じ取ったのか、震えたまま黙り込む。
彼女らを見るアレックスの表情は優しく笑ってはいるが、その言葉遣いは淡々としていた。
「さあ、始めてくれ」
「そんな、アレックス様……!!」
「いっ、嫌!!」
アレックスの冷徹な指示に、実験器具を手にした人々は女達が拘束された寝台を取り囲んでいく。
二人が自分を呼ぶ声など聞こえていないかのように、アレックスはその場を立ち去った。
「アレックス様アア!!」
女達の悲痛な叫びは、重厚な扉が閉まると共に掻き消される。その扉の上には〈解剖室〉と書かれた看板が赤く点灯していた。
カツ、カツ……とアレックスが歩く靴音だけが、暗い廊下に鳴り響く。
アレックスは女達の無垢に憐憫を感じることはあっても、利用することに罪悪感は抱かなかった。
そもそもアレックスがザイン島を開発した目的は、人々の信頼を得るためだけではない。
島の経済を安定させて島民の人口流出を防ぐこと。そして彼らをウィルス研究・開発の素体として利用することも目的の一つだった。
島での生活しか知らない人々を洗脳していくのは、アレックスが予想していたより容易なことだった。
無垢は罪ではないが、無知は罪である。
子羊のように従順な者らよ。呪うなら、こんな貧しい島から出ることもできない、しようともしない自分の無知、無力を呪え。
今までの人生を運だけではない、努力と実力で勝ち得てきたアレックスはそう考える男だった。
島民を使った人体実験を開始して数日後、アレックスは別邸でt-Phobosに関する実験結果の資料を見ていた。
先日連れ去った女達は転生の儀の〈器〉には適合せず、ウィルスが暴走したため廃棄処分となった。
その後も何人かの島民を実験台としたが、一向にアレックスに相応しい素体は見つからなかった。
t-Phobosを投与するまでは問題ない。だが、恐怖耐性を測る試験に耐えられる人間がいなかった。
転生の儀に相応しい器となる者は、強靭な精神の持ち主でなければならない。そのため被験者にあらゆる恐怖を与える試験を行ったが、今のところそれに耐えられる者は一人も現れなかった。
アレックスが打開策を考えていると、そこへ使用人が訪ねてきた。
「アレックス様。お客様がいらっしゃいました」
「誰だ?」
「アルバートと仰れば分かると……」
その名を聞いたアレックスは僅かに目を開くと、すぐに椅子から立ち上がる。
足早に廊下を歩いてアレックスが客間に入ると、黒いスーツを着た長身の男が、脚を組んでソファに座っていた。
「アルバート!」
アレックスがそう呼ぶと、男は掛けているサングラスの縁を持ち上げ、口元だけで笑った。
「久しぶりだな。アレックス」
「ああ……兄さん」
アルバート・ウェスカーは、アレックスと同様にスペンサーが行ったウェスカー計画の生き残りだった。血は繋がっていないものの、アレックスはアルバートを兄のように思っていた。
アレックスはアルバートの対面にあるソファに座った。事前の連絡もなしにアルバートが訪ねてくるなど珍しい。何か急用でもあるのかと、アレックスは単刀直入に尋ねる。
「今日はお前に渡したいものがあって来た」
アルバートはそう言って足下に置いてあったケースから何かを取り出し、アレックスに渡す。それは何かのウィルスサンプルだった。
「……これは?」
「私が完成させたものだ。ウロボロスウィルスと呼んでいる」
「ウロボロス……」
アルバートはウロボロスの特性についてアレックスに説明した。ウィルスの特徴や扱い方など話は詳細に亘ったが、簡潔に言うと、このウィルスを投与した場合、適合しなければ身体・意識の暴走を起こし、適合する者だけが超人的な身体能力を得られるという。
だが、なぜアルバートがウロボロスを自分に提供してくれるのか、アレックスには理解できなかった。
アルバートもアレックスも、お互いにスペンサーの元を去ったことは知っている。しかし現在は相手が何をしているのか、その詳細を語り合うことはない。
アルバートとアレックスはウェスカー計画の生き残りとして兄弟のように接してはいるが、優秀な遺伝子を持つ選ばれた人間として、時に同志でありライバルのような複雑な関係だった。
そうした間柄であることから、アレックスはアルバートに自分の病気のことも伝えていない。
アレックスは、ウェスカー計画で生き残った人間が自分達しかいないことをアルバートから聞かされていた。
自分達以外の被験者についてスペンサーが一切話さなかったのは、父にとって弱い存在は価値のない、失敗作でしかないからだとアレックスは思っていた。
病魔に侵された自分が失敗作だとは、父にも、誰にも思われたくない。故にアレックスは、自分の病気について話さないようにしていた。
「それを上手く使うといい。ウロボロスの作用は、お前が進めている開発研究で何らかの役に立つかもしれない」
「ああ……ありがとう、アルバート」
一呼吸置いた後、ウェスカーはサングラスの位置を正してから口を開く。
「……それと、お前に伝えておきたいことがある。スペンサーのことだが……」
スペンサーの名を聞いた途端、アレックスの顔が少し強張った。
「……スペンサーは、私が殺した」
「!」
ウェスカーの衝撃的な一言に、アレックスは持っていたウロボロスのサンプルを落としかけた。
「なぜ、お父様を……!」
「お前がスペンサーを父のように思っていたことは知っている。だが、私はあの男が許せなかった」
「……アルバートがお父様を恨んでいたのは知っている。だからこそお父様の元を離れたことも……その後も兄さんはずっと、お父様を恨んでいたのか?」
「……ああ。ウェスカー計画の真相を知った以上はな」
「……」
それは、アレックスも同じだった。今まで惜しみなく自分の望みを叶えてくれたスペンサーの厚意は、愛でも優しさでもなかった。アレックスやアルバートの体を使って、長い間実験の記録を収集するためのものだった。
スペンサー自身が、不老不死の夢を実現させるために。
それを知ったときのアレックスは、偉大なる父の覇業を敬う気持ちと同時に、自分の肉体を利用されたことへの憎しみも抱いた。
アレックスが原因不明の病を患ったのも、ウェスカー計画によって複数のウィルスを投与された後遺症の可能性がある。
ウェスカー計画の被験者に選ばれた自分の人生は、何不自由ないものではあった。だが所詮は籠の鳥のような生活だった。
偽りの幸せ。踊らされていた自分の人生。
無知な子羊……
先日解剖室に響いていた女達の叫び声が、アレックスの脳裏を掠める。
「……アハハハ!」
重い静寂を破るように、突然笑い声を上げたのはアレックスだった。
「何がおかしい?」
アルバートは怪訝な表情でアレックスを睨むように見た。
「いや。お父様を殺したことを隠さず、わざわざ報告してくれるとは……兄さんはこんなに正直な男だったかな」
「俺が言わずとも、どうせ知れることだ。それなら俺が直接伝えた方がいい」
「もしアルバートに知らされるより早く、私がお父様の死を知ったら……復讐されると思った?」
「フン……お前に隠し事をして妙な関係になるなら、いっそ恨まれた方が今後の対策も立てやすくなるからな」
アルバートははっきり口にはしないが、これからもアレックスと今まで通りの関係を続けていきたいということなのだろう。故にスペンサーを殺害したことを告白したのだとアレックスは解釈した。
「……私は兄さんを恨んだりはしないよ」
アレックスは、はっきりとアルバートにそう告げた。
「私はこれからもここで研究を続け、できる限り兄さんにも支援したいと思っている」
そう話すアレックスの目は、相手の心を解かすような優しい碧色をしていた。
しかしその碧は、人の心を翻弄する堕天使の光を帯びている。
物腰柔らかだが、目的のためなら手段は選ばない、残忍さを秘めた男。冷酷無比のアルバートより却って厄介な性質を持つ彼は、正にスペンサーの系譜を受け継ぐ人格の持ち主だった。