クレアがザイン島から脱出してから半年後。アレックスは監視室にいた。
 部屋中に設置された監視モニターには研究所の様子が映し出されているが、それは侵入者を警戒するためのもので、職員の姿はどこにも映っていない。
 かつて研究所に勤務していた人々は、既にアレックスとの契約を終えたか、アレックスの実験に利用されたために一人もいなくなっていた。

 その静寂の中、アレックスは手の中にある小さなサンプルケースを見ていた。
 そのケースに入ったサンプルは、アレックスがアルバートから受け取ったウロボロスウィルスが含まれたものだった。

「アレックス様、お呼びでしょうか」

 呼び付けていた人物が現れると、アレックスはサンプルを懐にしまった。白銀の髪色をした男が静かにアレックスの方へ歩み寄る。

「セト。君に任せたいことがある」
「何なりとお申し付けください」

 アレックスは、セトに用意していた書類を渡す。

「この研究所はもう保たないだろう。君はこの人を連れてここを離れるんだ」

 アレックスはそう言って、資料の一枚目に移っている顔写真を指差す。

「詳細はそれに書いてある。それを読めば、君にも従うだけの価値があると分かるだろう」

 アレックスにそう言われたセトは、手渡された資料の内容にすぐ目を通した。
 そして資料を読み進める内に、次第にセトの顔色が変わっていく。
 アレックスとセトはそのまま数分間話し合っていたが、アレックスの話を聞くセトは使命感に燃えるような顔付きに変わっていた。

「ご命令には従います。しかし、アレックス様はどうなさるおつもりです?」
「私のことは構わない。たとえ私に何があろうと、君は決して保護対象から目を離すな」
「承知いたしました」
「それと……これを持っていけ」

アレックスは、先程懐にしまったウィルスサンプルをセトに渡した。

「私が兄さんから直接受け取ったウロボロスに改良を加えたものだ。そのウィルスには……アルバートの愛した女性の細胞も含まれている」
「!」

 驚く様子のセトを前に、アレックスは笑みを浮かべる。

「この私が……らしくないことをすると思っているのだろう」

自嘲的に笑うアレックスに、セトはそれを否定するように首を横に振った。

「貴重な品、確かに拝受いたしました」

 サンプルケースを受け取ったセトに、アレックスは付け加えるように言う。

「君はアルバートとその女性、そして私の存在を最もよく知る人物だ。それを今後どうするのかは……活かすも殺すも君次第だ」
「はい。肝に銘じます」

 セトはアレックスに深く頭を下げると、風のようにその場を後にする。

 再び一人になったアレックスは、監視室にある操作盤の中から、緊急用の赤いボタンを押す。それは研究所に備えていた爆破装置を起動させるものだった。




 名前の中で記憶コピーのアレックスが目覚めてから、名前はアレックスからしばらく邸から出ないように言われていた。
 名前は言われた通り別邸で過ごすようにしていたが、最近アレックスは忙しいのか、邸に来ることが減っていた。
 その間名前は一人で過ごすことが多かったのだが、孤独を感じることはなかった。

「どうして、そんなにアレックスのことが気になるの?」

 傍から見ると独り言を話しているようにしか見えないが、名前は自分の内にいる記憶のアレックスと話していた。

 転生の儀から目覚めた当初、名前は自分の体内に記憶のアレックスがいるという実感がなかった。
 だがアレックスの前で気を失ったとき、眠っていた記憶のアレックスが覚醒したらしい。
 それから時々、記憶のアレックスは名前に話し掛けてくるようになっていた。

(あの男のどこをそんなに気に入っている? 君を実験台にした男だろう?)
「あの人は……私に自由を与えてくれたの」

 記憶のアレックスは、本物オリジナルのアレックスのことを気に入っていないようだった。
 名前がそれはなぜかと尋ねても、理由は色々あるというだけで、いつもアレックスは答えてくれなかった。

(自由? こうして君を部屋に閉じ込めるような男が?)
「何か理由があるのよ。そのうち出してくれるはずよ」

(君はあの男を信用しすぎだな。利用されているだけかもしれないと、考えたことはないのか?)
「そうだとしても……構わない。それに、私にはもう帰るところがないの」

 名前とアレックスが話していると、不意に名前のいる部屋の扉が開く。
 そこには白銀の髪をしたスラリと背の高い男が立っていた。

「……誰ですか?」

 咄嗟に身構える名前を男は静かに見ていたが、やがて胸に手を当てて恭しく頭を下げる。

「私はアレックス様にお仕えするセトと申します。アレックス様の命を受けて名前様をお迎えに参りました」

 アレックスから紹介されたことはないが、名前はこのセトという男とアレックスが話しているのを何度か見掛けたことがあった。
 男の発言が嘘ではないだろうと思った名前は、セトに促されるまま部屋を出る。

 名前はセトの後に続き、別邸から研究所の方へ歩いていく。
 研究所の中に入ると、研究室や廊下の窓が叩き割られたように壊され、実験器具や血痕のようなものが周辺に散らばっていた。

「これは……何が起きたんですか?」
「今は説明している時間がありません。転ばぬよう足元にお気を付けください」

 名前が記憶している以前の整然とした研究所の姿は、もうどこにもない。どこを見ても戦場の跡地のような光景を見て、名前は嫌な予感を覚えた。

「……アレックスは無事なんですか?」

 名前がそう尋ねると、セトは少し黙っていたが、やがて口を開く。

「アレックス様は……」

 セトが言いかけたそのとき、研究所に巨大な破壊音のようなものが響き渡り、地面が大きく揺れた。よろめく名前の体を咄嗟にセトが支える。

「今のは何……?」

 何かがぶつかり壊れるような音が、研究所の床や壁を断続的に揺らしている。それは地震のようなものではなく、誰かが何かを壊すような人為的な揺れ方だった。そしてその轟音は近くからではなく、下の方から響いていた。

 研究所の地下で何かが起こっていることを悟ったとき、名前は言葉では説明が付かない感覚が閃くのを感じた。そして気付けば、名前の体は走り出していた。

「アレックス!!」

 セトは名前の腕を捕ろうとしたが、地面が揺れた衝撃でその手は空を掴んだ。

「名前様!!」

 セトが制止する声を聞かず、名前の後ろ姿は暗い研究所の闇に消えていった。




 広大な地下施設の一室に旋律が鳴り響く。
 実験装置の明かりに照らされた薄暗い空間の中心にはピアノがあり、それを何者かが弾いていた。

 そこへ扉が静かに開き、別の誰かがこの空間に侵入してくる音がした。
 コツコツと侵入者が近付いてくる靴音が、天井高くまで反響している。
 それでも奏者は手を止めることはなかった。

「アレックス・ウェスカー」

 名前を呼ばれた奏者の指先が止まる。

「あなたが、この島で起きた全ての元凶ね」
「……やはり来ると思っていたよ。クレア・レッドフィールド」

 アレックスは独奏を止めると、ニコリと笑みを浮かべる。
 アレックスはニールと相対したときと同じように、黒いローブに白いマスクを身に着けていた。

「ここまで辿り着くとは、見事なものだ」

 銃を向けられていることに構わず、アレックスはクレアに軽い拍手を送る。そしてゆっくりとクレアの方を見た。

「半年前、ニールをあんな目に遭わせたのもあなたね?」
「ニール……懐かしい名前だな」

 クレアに問われたことで、漸くアレックスはニールのことを思い出す。最早アレックスにとって、彼は記憶の彼方に忘れ去った存在だった。

「私は彼の忠誠心を買って力を貸しただけだ。だが……私の力を借りたところで、彼の願いは果たされなかったと思うがね」

 半年前に島を脱出してから、クレアはニールの素性を調べた。どうやらニールはただのテラセイブ隊員ではなかったらしい。
 そして今のアレックスの発言と、半年前のニールが元FBC長官であるモルガンの名を呼んでいたことから、疑念は確信に変わった。

「あなたもここで終わりよ」

 正義の怒りが込められたクレアの声に対し、アレックスはそれを気に掛けない様子で椅子から立ち上がる。
 そしてアレックスは、自分の顔にゆっくりと手を伸ばすと、クレアの前で仮面を外した。

「!」

 仮面の下から現れたアレックスの素顔を見て、クレアは息を吞む。
 皮膚が爛れ、一部は筋肉質が見えているようなその顔に、アレックスは残忍な笑みを浮かべていた。

「フフフ……醜い姿だろう。だが、それも今日で終わりだ」

そう話すアレックスの手には、いつの間にか注射器が握られていた。

「私達の願いをここで終わらせる訳にはいかない……だろう? 兄さん」

 アレックスは手の中にある注射器を見ながら、独り言のように呟く。

「アレックス! それを手放しなさい!!」

 クレアが注射器を持つアレックスの腕に銃を向けると、アレックスは着ていたローブをクレアの方へ投げる。

「!」

 ローブに視界を遮られたクレアは一瞬判断が遅れた。
 その間にアレックスは、自らの腕にウィルスを打ち込む。
 アレックスが自身に投与したのは、かつてアルバートに渡されたウロボロスを、アレックスが独自に改良したものだった。

「ぐっ……!」

 ウロボロスを打ち込んだ途端、アレックスは苦しげに頭を押さえ始める。
 アレックスは全身が燃え爛れるように熱を持ち始めるのを感じていた。

「……今なら分かる気がする……アルバートの気持ちが……!!」

 正直アレックスは、野望を果たせず女と共に死んだアルバートを心のどこかで軽蔑していた。
 しかし名前に出会ってからは、アレックスもアルバートの気持ちに共感できる気がしていた。

 アレックスは正気と狂気の狭間に、幻覚のようなものを見る。

 義父スペンサーと過ごした、愛しくも忌々しい日々。
 愛する女と共に、静かな眠りに落ちたアルバートの姿。

 それは兄の開発したウロボロスが見せるものなのか、アレックスが兄に自分を重ねるが故に見るものなのか。

 そして名前と語り合った日々。名前の笑顔。

「私はもう……誰も喪うものか……」

アレックスの体は、彼の意思を表すかのように変異し巨大化していく。

「お前達などに……奪わせはしない!!」

 アレックスは変異の苦しみに呻き声を上げ、心のままに叫ぶ。
 やがてアレックスの体躯は獣のような姿に変異し、人の姿は見る影もなくなった。

 人外の咆哮を上げながら、アレックスはクレアの方へ迫ってくる。咄嗟にクレアは横に転がりその突進を避けた。

「こんなことをしてももう無駄よ!あなたの計画はここで終わらせるわ」

 クレアがアレックスに銃を向けながら言うと、アレックスは不気味な笑い声を上げた。
 アレックスは猟豹のような俊足で、クレアとの距離を一気に詰める。そしてクレアが銃を撃つより早く、クレアの体を前脚で横に投げ飛ばした。

「うっ……!」

 吹き飛ばされたクレアの体は壁に激突し、周辺に土煙が舞った。

「ここで終わるかどうかはまだ分からない……たとえ私が死んだとしてもな!」

 アレックスの言葉の意味するところが、クレアには理解できなかった。
 まるで自分がいなくなろうと、何か次の手を残しているかのような言い方だった。

 だがクレアがそれを考える余裕もなく、アレックスは背中から伸びたウロボロスの触手を操り、鞭のように叩き付けてくる。
 クレアはそれを避けたが、触手は凄まじい力で壁を粉砕し、砕けた壁の破片がクレアの頭上に降り注ぐ。クレアの頭に破片の一部がぶつかり、額を伝って一筋の血が流れた。

 クレアはアレックスの攻撃を躱しつつ、半年前にニールと戦ったときのことを思い出す。変異したニールは火に弱く、体に弱点のような部分があった。
 そしてアレックスの胸部にも、ニールにあった弱点と似たようなものがあることにクレアは気付く。

 アレックスはニールと同じウィルスを打って変異した可能性がある。
 そう思ったクレアは、用意していた火炎瓶に火を着けると、それをアレックスに向かって投げ付けた。
 しかし、火炎瓶の炎はアレックスに引火せず、その足元で燃え上がるだけだった。

「フフフ……無駄だ。私にニールと戦ったときの手は通用しない」

 アレックスは邪悪な笑い声を上げながら、燃え盛る炎を掻き分けるようにしてクレアに近付いていく。
 業火を踏み躙るように悠然とクレアに迫るその姿は、地獄に棲まう猛獣のようだった。

 以前クレアが島を脱出した後、アレックスはその間にウロボロスに改良を重ね、火への耐性を高めることに成功していた。
 いかにウロボロスで驚異的な身体能力を得ようと、炎が体に燃え広がれば身動きが取れなくなり、体力も大幅に削られてしまう。

 ニールとクレアの戦闘結果からその課題を発見したアレックスは、火への耐性を強化することを最優先に研究を進めた。
 そこでアレックスは、アルバートと共に研究資料として保存していた女に着目した。

 彼女は生前体内から氷を生み出す能力を持っていたという。その彼女から採取した細胞を用いれば、ウロボロスの火への耐性を高められるのではないかと考えたのだった。

 アレックスは仮説を現実のものとするため試行錯誤を重ねた。結果、女の持つ特殊な細胞とウロボロスを融合、安定化させることに成功し、それを元に新たなウロボロスウィルスを作り出していた。

 時が許せば、アレックスは変異時に体に表出する弱点、ウロボロスのコアについても対処できただろう。
 だが命を削るように、t-Phobosの研究やクレアと決戦を果たす準備を同時に進めていたアレックスにそこまでの時間は残されていなかった。

 そしてクレアと対峙した今、ウロボロスを投与したアレックスは俊敏に動く獣のような姿に変異した。それは病気やt-Phobosの影響で不自由になった肉体から解放されたいという彼の願望の表れにも見える。
 また四つ足で動く姿に変異したのは、胸部の核を守るという意思が反映されているようだった。

「この程度では、私には勝てんぞクレア!!」

 アレックスはクレアに向かって瞬時に飛び掛かり、クレアは何とかそれを避ける。
 クレアは俊敏に動き回るアレックスの体に向けて発砲するが、命中しても怯む様子はない。変異したニールのように、弱点に攻撃を当てなければ無意味のようだった。

 しかし、クレアは何とかアレックスの攻撃を躱すのが精一杯だった。弱点を狙おうとするが素早い動きで避けられてしまい、クレアが一方的に攻撃を受ける形になっていた。
 目にも留まらぬ動きに翻弄されるクレアを見て、アレックスは哄笑する。

「疲れてきたようだな、クレア? 動きが鈍ってきているぞ」

 時間が長引くほど体力も銃弾も無駄に失うだけだ。消耗戦になる前に決着しなければならない。
 クレアがそう考えている間も、アレックスは攻撃の手を休めなかった。
 この戦いを早く終わらせたいのはアレックスも同じだった。弱点を体外に晒している以上、そこを攻撃されれば一気に形勢不利となるからだ。

「……私はな……貴様らが叫ぶ正義など、反吐が出るのだよ」

 アレックスはクレアの方を見ながら、忌々しげに、吐き捨てるように言った。

「お前達の正義と、私達の正義は決して交わることはないのだろう。だからこそ互いに否定し殺し合う」

 アレックスはクレアに向かい前脚を叩き付けてきたが、クレアもそれを避けて応戦する。

「だが、以前から私はどうしても解せないことがある。いや……お前達の思慮が足りないというべきか」

 最早人間のものではない、血のように赤い眼でアレックスはクレアを睨み付ける。

「お前達のように表の世界で生きる人間は、自分達こそが常識であり全て正しいと思っている。そして貴様らは兄や私のような存在を傲慢で冷酷な狂人のように見るが……私にはお前達こそ傲慢に見える!!」

 クレアはアレックスの攻撃を避け続けていたが、アレックスの巨大な手が素早く伸び、クレアの体を鷲掴みにした。

「生きているだけで存在を許される。平凡な日々を享受できる幸福を与えられている……そんな世界で生きてきた人間に、我らの何が分かるというのだ!!」

 アレックスはクレアの体を掴んだまま、締め上げるように力を込める。

「光の中では生きられない人間もいるのだ。生まれながらに光を浴びることさえ許されない人間が!!」

 クレアには、アレックスがどういう人生を送ってきたかは知りようもない。
 しかし一度島を脱出した後、クレアはニールについて調べるのと同時に、アレックス・ウェスカーがどういう人物であるかについても調査していた。

 アンブレラ創始者であるスペンサーに近い存在でもあった彼は、往時は優秀な研究員として活躍していたこと、またスペンサーの元を離れザイン島を訪れてからは、実質的に島の支配者になっていたことからして、研究者としての才能だけでなくカリスマ性も持ち合わせていることが窺える。

 それは一見すると、才ある選ばれし者の、何不自由ない人生に見える。しかし目の前のアレックスは、クレアには幸せそうには見えなかった。
 闇の世界で暗躍し続けるということは、生まれながらに優秀なものでさえ、死に物狂いの努力が必要だったのかもしれない。

 だが、それでも今までのアレックスの行為が許される訳ではない。少なくともクレアの生きる世界では、倫理的に許されることではない。

「私は……クリスを追う内に、この仕事を始めたけど……何が正しいかなんて、正直私も分からない……」

 体を押さえ付けられながらも、クレアは狂気に満ちたアレックスを真っ直ぐな目で見据える。

「けれど……私にもあなたと同じように、守りたいものがあるの。そして私はそのためなら、戦うことも惜しまない……ただそれだけよ」
「黙れ、偽善者が!!」

 アレックスがクレアを締め殺そうとしたとき。
 その足元で何かが爆発した。

「グアッ……!!」

 爆撃を受けたアレックスは怯んだ瞬間、クレアを掴んでいた手を離す。
 アレックスの近くで爆発したのは、クレアが戦いの最中に撒いていた地雷型の爆弾だった。

 アレックスの胸部にある核を攻撃するには、威力のある弾薬で体勢を崩させる必要がある。
 しかしアレックスに手榴弾を投げても、素早い身のこなしで避けられてしまうだけだろう。
 そう考えたクレアは、アレックスの攻撃を避けつつ見えにくい場所に罠を設置していた。

 アレックスの手から逃れ着地したクレアは、隙を逃さずアレックスに銃口を向ける。クレアが放った弾丸は、アレックスの胸部にある核に命中した。
 そのままクレアが追撃しようとしたとき、何者かがクレアとアレックスの間に立ちはだかる。



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