ニールが部屋に入ると、そこには黒衣を纏った人物が一人、背を向けて椅子に座っていた。
「失礼いたします」
ニールの声が聞こえると、その人物は椅子を回転させてニールの方を向く。
「久しぶりだな。ニール」
「アレックス様……なのですか……?」
「ああ。私がこの島にいるという情報が漏れたらしい。だから素顔を隠すためにこの格好をしている。どこから監視されているか分からないからな」
そう話すアレックスは黒いローブに身を包み、顔の半面を覆う白いマスクを着けていた。
アレックスが変装していたのはニールに告げた理由もあったが、t-Phobosの影響で醜くなった自分の姿を隠すためでもあった。
「いよいよ計画も最終段階だが……モルガンの復帰は見込めそうなのか?」
「はい。あのウィルスを用いれば、いずれ世界の秩序は変貌するでしょう。そのときこそ、私がモルガン様に報いる機会も訪れるのです」
ニールはテラグリジア事件の首謀者であると判明し、失脚したモルガン・ランズディールに心酔している男だった。
そしてモルガンの復帰にアレックスが協力することを条件に、ニールはテラセイブの隊員をザイン島に送り込むなどの工作活動をしていた。
「そうか。君に任せた仕事は、順調に進んでいるようだな」
今までアレックスは、ウロボロスを世界中に拡散する計画の一端をニールに任せていた。
ウロボロスに選ばれた者のみが生きる世界で、アレックスは父兄の遺志を継ぎ、新たな世界の創造主として君臨する。
そしてニールはウロボロスを用いてバイオテロを引き起こした後、表向きは対テロ組織として活動し、モルガン率いるFBCの再興を果たすことを宿願としていた。
ニールはアレックスの真意は知らないが、アレックスからウロボロスを交換条件に取引することを持ち掛けられ、今までアレックスに従っていたのだった。
「そろそろ君に約束の品を渡す頃合いだろう。それで今日は君を呼んだのだ」
「それは……」
いよいよ望んでいたものが手に入るという期待と緊張感を、ニールは感じていた。
そしてニールは必要なものさえ手に入れば、アレックスの存在も闇に葬るだけだと考えていた。
「……私のところに来てくれ」
アレックスはそう言って、ニールを自分の方に呼び寄せる。アレックスは杖を突かねば歩くことができないため、それを悟られぬようニールを自分の方へ呼んだ。
言われた通りニールがアレックスに近寄ると、不意にアレックスはニールの肩を掴んで近くに引き寄せた。
「うっ……!」
ニールの首元に小さな痛みが走った。すぐにニールがアレックスから離れると、アレックスの手に注射器が握られているのが見えた。
「な、ぜ……ぐぁっ……!」
「なぜ? 私はお望みのものを、君に差し上げただけだよ」
アレックスがニールに投与した注射器の中身には、ウロボロスウィルスが含まれていた。
目の前で悶え苦しむニールを、アレックスは座ったまま無情に見下ろしていた。
「今、クレア・レッドフィールドがこの島にいる。恐らく、以前私が君に連れてくるよう指示したテラセイブの隊員を捜しに来たのだろう」
「!」
アレックスの言葉を聞いたニールの目が、驚いたように見開かれる。
「君はクレアの上司だろう。その様子だと、クレアは極秘にこの島を訪れたようだな」
任務としてクレアが島に来たならば、上司のニールがそれを知らない訳がない。
「君は隊員が死亡したことを隠蔽したと言っていたが、どうやら失敗したようだな」
体内にウロボロスが広がり、藻掻き苦しむニールを前に、アレックスは話し続ける。
「ニール。君と話しているときに感じていたのだが、君は情に流されやすい面がある。もしや真実に勘付いたクレアに迫られて、この島の情報を流したのではないか?」
「そ、それは……」
アレックスの予想通りなのか、感染による苦痛のためか、ニールはそれ以上話さなかった。
アレックスは椅子から立ち上がると、その場にニールを置いて扉の方へ歩き始める。
アレックスはローブに杖を隠しながら歩いていたため、正気を失い掛けていたニールには、アレックスの様子が以前とは違うことに気付かなかった。
「待って、くれ……! 俺は、まだ……モルガン様を……!」
ニールの呼び掛けに、アレックスは足を止める。
「今までの君の働きに免じて、これ以上は追及しないでおこう。もう会うことはないだろうが、君の協力には感謝している。もし君がクレアを消してくれたら、モルガン復帰の約束ももう一度考え直してみよう」
アレックスはニールにそう別れを告げると、その場を立ち去った。
「ぐぁあああっ……モルガン様……モルガンさまアアア!!」
アレックスの背後から、ニールの苦しみに満ちた断末魔が響いてくる。
モルガン復帰を条件にニールと手を結んでいたアレックスだったが、最初からモルガンの行く末がどうなろうと、アレックスには関心のないことだった。
最早力を失った老い耄れなど、何の利用価値もない。そんな人間がどうなろうと、アレックスには何の利益もないからだ。
別れ際にアレックスがモルガンについて話したのはニールを奮起させるためであり、その忠誠心が変異したニールにどのような影響を及ぼすのかを知りたいからだった。
ニールの声が聞こえなくなった頃、アレックスは監視室に戻っていた。
アレックスは杖を壁に立て掛けると、ローブを脱ぎ仮面を外した。
そして壁一面に設置された監視モニターの前に座ると、アレックスはその内の一つにクレアの姿を見つける。
「レッドフィールド兄妹よ。兄を奪われた悲しみと憎しみ……それを思い知るといい。その身を以て……」
そう呟きながらクレアを見るアレックスの表情は、残忍な笑みを浮かべていた。
ザイン島を探索していたクレアとモイラは、研究所に続くエレベーターに乗ろうとしていた。
「村には誰もいなかったようだし……後はこの建物だけね」
「もし人がいたら、どうするつもりなの?」
この島に潜む不穏なものを感じるかのように、モイラは不安げにクレアに問う。
「まずは数年前に消えたテラセイブの隊員について訊いてみるわ。ニールによると、彼らは遠方へ異動したか、テロ対策の任務中に死亡したと言っていたけど、詳しく調べるとそんな記録は残されていなかったのよ」
「ニールが嘘をついているとは思いたくないけど……」
クレアとモイラにとって、ニールは優秀で信頼できる上司だ。実戦や情報戦、バイオテロを阻止するあらゆる能力に長け、いつもクレア達をリードしてくれていた。故にニールが自分達に隠し事をしているとは思えなかった。
「ええ。私もそう思いたいけど……消えた隊員達の行方を追ってみると、彼らはこの島に来てから行方不明になっている。きっと手掛かりがあるはずよ」
「うん。この島、何だか怪しい気がするしね……」
ザイン島に来るまで、モイラはクレアの考え過ぎではないかと思っていた。
しかし実際に島に来てみると、クレアの予感が当たっているのではないかと思い始めていた。
クレアとモイラが話していると、その間にエレベーターが到着した。
エレベーターの扉が開くと二人は乗り込もうとしたが、中から人がよろめくように飛び出してきた。クレアは咄嗟に相手を受け止める。
「ニール? どうして……」
クレアに凭れ掛かっている男は、紛れもなくニールだった。
ニールに黙ってザイン島を訪れていたクレアは、なぜ彼がここにいるのかと思った。クレア達が島に来たことを知り駆け付けてくれたのかもしれないと思ったが、何か様子がおかしい。
ニールは苦しそうに呻き声を上げながら床に倒れる。
「ニール!」
ニールはその場にのたうち回り、激しい痙攣を起こしていた。クレアはニールに近寄るが、何もできることはなかった。
「俺から、離れろ……!」
ニールは自分の体を支えようとするクレアを、力を振り絞るように突き飛ばす。
「クレア、ニールの体が……何かおかしいよ」
モイラの言う通り、呻き声を上げ、悶え苦しむニールの体が見る見る内に膨張していく。
「モイラ、離れて!」
クレアはニールと距離を取るように、モイラの腕を引いた。
全身の筋肉が異様に肥大化したニールは、苦痛と狂気に満ちた咆哮を上げる。その姿は最早人間といえるものではなかった。
「ニール……何てこと……」
瞬く間に変わり果てたニールを前にクレア達は呆然としていたが、ニールの巨大な腕が二人目掛けて振り下ろされてきたことで正気を取り戻す。
クレアとモイラはニールの攻撃を避けると、それぞれ武器を構えた。
こうなってしまった以上、ニールを倒すしかない。
クレアは覚悟を決めると、銃口をニールに向けた。
ウロボロスの力を得たニールは、人間離れした怪力でクレアとモイラを追い込んでいた。剛腕を振るい、周辺にあるものを破壊しては、それを叩き付けるように投げ飛ばす。
ニールはクレア達の攻撃に怯む様子もなく、猛然と襲い掛かってくる。
変異したニールの体は鋼鉄のような硬さとなり、クレアとモイラの攻撃を跳ね返していた。
「クレア! 私達の攻撃、効いているの?」
「分からない。とにかく戦いながら弱点を探すしかないわ!」
ニールがクレア達と戦う様子を、アレックスは監視モニターの映像で観察していた。
「あの変異……興味深いものがある……」
かつてアルバートはウィルスを投与された者の意思が、変異後の姿に影響を及ぼすことを示唆していた。
ニールの強靭な肉体への変異は、彼のモルガンに対する忠誠心と相関しているのかもしれないとアレックスは思った。
人外の力を得たニールにクレア達も最初は追い込まれていたが、防戦一方ではない。理性を失いかけていたニールはクレアとモイラに陽動され、ガスボンベの積まれたコンテナを破壊する。すると瞬く間にニールの全身に火が燃え移った。
ニールは炎を纏った状態でクレア達に襲い掛かろうとするが、余りの熱さに耐え切れず叫び声を上げた。
「今よ!」
クレアの声を合図に、ニールが怯んでいる隙を狙って二人は集中砲火を浴びせる。
その攻撃はウロボロスで変異したニールの体にある核に命中し、ニールは絶叫した。
「ぐああああっ!! モルガン様アア……!!」
ニールは呻き声を上げながらクレア達に襲い掛かろうとするが、全身を炎に焼かれたことで大幅に体力を失ったのか、やがてその場に倒れ込んだ。
ニールが動かなくなったのを確認すると、アレックスは監視モニターから目を離した。
ニールの体はウロボロスにより驚異的な力を得たが、火への耐性が低く、まだ実用的ではないとアレックスは思うのだった。
アレックスがニールにウロボロスを打ったのも、その耐性がどの程度であるかを知るためのものでもあった。
ウロボロスが高熱に弱いことについて、アレックスはウロボロスを渡されたときにアルバートから説明されていた。しかし弱点が体外に表出することについては知らされていなかった。
アルバートが説明を忘れたとも思えない。自分が開発したウィルスに欠点があることを話したくなかったのか、アルバートが世界を支配した後、アレックスの存在は脅威となり得ると見做していたのか。
新世界の覇者となったアルバートにとっては、弟のような存在のアレックスさえもう必要はない。この世を統べる創造主は一人だけでいい。ウロボロスについて全て知っているのは自分だけであればいいと。
「アルバート。今はもうあなたの真意は知りようもないが……ウロボロスの力がどういうものかは、実際に目にしてよく分かったよ」
いずれにしても、ウロボロスに適合した者が得られる身体能力は、弱点を差し引いても余りあるほどのものだ。
「ウロボロスはまだ改良を重ねる必要がある……だが私にその時間は余り残されていない」
アレックスはそう言うと、懐から小型のリモコンを取り出し、そのボタンを押した。
アレックスが装置を押した後、監視モニターにはクレアとモイラがいる地点で爆発が起こる様子が映し出されていた。
「中々良いサンプルになってくれた。ニール、礼を言うよ」
ニールの戦闘力にはそれほど期待していなかったアレックスだが、ウロボロスの作用を知るには良い機会を得たと思うのだった。
その後、アレックスはニールが死亡したことをセトからの報告で知った。
セトによると、アレックスが起こした爆発で、モイラは瓦礫の下敷きになり生死不明となった。
クレアは島から脱出したようだが、あの爆発に巻き込まれて無事では済まなかっただろうとアレックスは思った。
またアレックスはクレアに、信頼していたニールを倒させるという精神的な苦痛も与えた。
しかしクレアを倒すことは、今のアレックスにとって優先事項ではない。アレックスの目的は父や兄の遺志を継ぎ、○○を守ることである。
こうして時を稼いだアレックスだが、ニールとの戦いに冷静に対処するクレアを見て、やはり油断ならない人物だと思うのだった。
そして正義感の強いクリスの妹ならば、この島の実態を調査するため、モイラを含むテラセイブの隊員を捜し出すため、必ずザイン島に戻ってくるだろうとアレックスは確信していた。
「それまでに、私には果たさねばならないことがある……」
一人思いを巡らせるアレックスの表情は、静かな決意と悲しみを湛えていた。