恩田姉妹を解剖したことで、宮田はこの村に何が起こったのかやっと確信した。
この村は呪われたのだ。全てが異界に取り込まれた。
だからこそ村中に見たことのない建物が並び、人々が不死身となって彷徨っているのだ。
美奈と理沙を実験室に放置したまま、宮田は実験室から出て病院内を歩く。
「名前……」
一体何処だ。何処に居るんだ。
目の見えない彼女が病院から抜け出している可能性は低い。恐らく病院の何処かに隠れているのだろう。
「名前、私だ!居るなら返事をしてくれ!」
美奈達のことがあってから、随分と時が経ってしまった。その焦りが宮田の足を速めさせる。そのとき、何処か遠くから人の叫ぶような声が聞こえた。
「誰か!助けて!!」
宮田は耳を澄ましその声が聞こえる方へ向かう。よく聞いてみると、その声は聞き覚えのあるものだった。
「こっちに来ないで!!」
「この声は……名前!!」
宮田は急いで名前の声がする方へと走る。
宮田が名前の声が聞こえる部屋の扉を突き飛ばすように開けると、包丁を持った男が部屋の隅に蹲っている名前へ近寄ろうとしていた。
「名前!!」
宮田は包丁を持った男の手を掴んで抑えると、ネイルハンマーで男の頭を殴る。
「ギャアッ!!」
宮田に殴られた男は甲高い悲鳴を上げ、その場に倒れ込むと動かなくなった。
宮田が名前に近付いてその肩に触れると、ビクッと名前の体が跳ね上がった。
「……名前さん、怪我はありませんか」
「宮田、先生……?」
自分の側に居るのが宮田だと分かると、名前はホッとした表情になる。
「助けてくれてありがとうございます……あの、包丁を持った男は……」
名前にそう尋ねられて宮田は床に倒れている男を見下ろす。殴られた男の頭部からは、暗闇でも分かるほどドロドロと赤いものが流れ出している。
「気絶はしていますが、死んではいませんよ……」
宮田が改めて見ると、病院内では見たこともない顔の男だった。この男も目や鼻から血が流れ出た痕がある。美奈達と同様、もう人間ではない。
「今はとにかく私について来てください」
そう言って宮田が名前の腕を掴んで立たせようとする。
「……先生」
「何ですか?」
「私、さっきから変なんです」
「変……?具合が悪いんですか?」
名前は首を横に振る。
「見えるんです……目が」
「!」
「ただ、それが……目が見えるというより、他人の目を借りて見るというか……何と言ったら良いか、よく分からないんですけど……」
名前のその言葉で、宮田は名前の言いたいことが解った。宮田も異界に取り込まれてから、目を瞑ると他人の視界を借りてものを見ることができた。病院に辿り着く前も、宮田はこの不思議な力を使って何度も危険を回避してきた。
そう言えば今、名前が『包丁を持った男はどうしたのか』と尋ねてきたことからも、名前には本当に目が見えているのだと宮田は理解した。
「名前さん、そんなに心配しなくても大丈夫です。それならさっきから私にも見えていますから」
「先生も?……それは、どういうことですか?さっきは変なサイレンが鳴っていたし……何かあったんですか?」
「……詳しいことは後で話します。今は時間がありません」
宮田はそう言うと、名前を立ち上がらせる。
「一応手は繋いでおきますが、それでも不安なら『私の目を借りる』と良い」
「……分かりました」
宮田と名前は病院の出入口に向かって歩き始めた。
―――――
病院から抜け出した宮田と名前は、大字粗戸の耶部(やべ)集落に居た。
辺りに村人の気配がないことを確認した宮田は立ち止まる。
宮田の白衣のポケットには病院を探索していたときに先代美耶子から受け取った宇理炎が、その存在を宮田に示すかのように重く圧し掛かっていた。
「私が、私自身としてやるべきこと……」
「宮田先生?……どうしたんですか?」
独り言を呟く宮田に名前は尋ねる。
「……名前さん。今から私が話すことを、真剣に聞いて欲しい」
「…………」
宮田の真剣な声に深刻なものを察した名前は、それ以上何も言わずに頷く。
「今、この村には異変が起きている……いや、元々この村は呪われていたんだ」
「……呪い?」
今自分達が置かれている状況からして、名前にも宮田の言葉が嘘だとは思えなかった。
「……それは、どんな呪いなんですか?」
名前に尋ねられた宮田は一呼吸置いた後、静かに話し始めた。
「……遠い昔、ある女がこの土地で罪を犯した。飢えに耐えられず天から落ちてきた神の肉を口にした。そして神の怒りを買い、村は呪われた。女はこれから娘を一人ずつ神に差し出すから許して欲しいと神に乞い、その使命を果たすために不死身の呪いを受けた。
それからはこの土地の豪族である神代一族の中から神の花嫁となる娘が選ばれ、その娘が初潮を迎えると神に差し出す儀式を行うことが、この村の密かな習慣になった」
「そんなことが……この村で……」
「その儀式は今でも、この村で行われていた。だが、そんなことをしても結局は永遠に許されることのない、繰り返される呪いだったんだ」
「許されることのない、呪い……」
「今、この村はその呪いによって現世ではない時空に存在している。つまり、異界に取り込まれたということだ」
「異界……現世にはもう、帰れないんですか?」
「それは私にも分からない……」
この非現実的な状況を前にどうするべきか。二人が思案していると、突然銃声が聞こえて名前と宮田はハッとする。
「行こう」
危険を感じた宮田は名前の手を取り直すと、建物の影に沿って集落を抜けた。
宮田と名前は羽生蛇鉱山に辿り着いていた。
人の気配を感じた宮田は、姿を隠す為に側にあった鉱山跡の管理小屋に入り込む。
扉を閉めた宮田は、名前に向けて話し始める。
「……名前さん、私はここでやらなければならないことがある。君を巻き込む訳にはいかない……だから私が戻るまでの間、ここで待っていてほしい」
丸腰の同行者を連れての移動は、ただでさえ負担になる。宮田の目を借りて行動している自分ならば尚更だ。そう思った名前は宮田に「分かりました」と答える。
「でしたら、宮田先生。それは私がお預かりします」
宮田は耶部集落で爆薬の入った箱を手に入れていた。何に使うのかと名前が尋ねると、宮田はただ「私がやらなければならないこと」に必要なものだと説明した。
「これは……君に預けるには危険なものだ」
「それでも構いません。私も先生の役に立ちたいんです!」
「……分かった」
名前の意思を汲んだ宮田は、名前に箱を渡す。
「すぐに戻って来る」
宮田はそう言って管理小屋を出る。そうして名前は管理小屋で宮田を待ち続けた。
「宮田先生……」
宮田を信じてはいるが、それでも完全に不安を拭うことは無理だった。
こうしてじっとしていると時が長く感じられる。
そのとき、遠くから爆音と同時に瓦礫が崩れるような音がした。
「何……?」
名前は心配になったが、勝手に動き回れば却って宮田の迷惑になる。
「きっと大丈夫……先生……」
不安を押し殺すように、部屋の隅で膝を抱えながら名前は宮田を待った。
「…………」
そうして暫くじっとしていると、張り詰めていた緊張が次第に緩み始めて意識が朦朧としてくる。眠気に抗うことは出来ず、名前はそのまま目を閉じた。
―――――
自分の体を包む温かい感触に、名前は目を覚ます。
「ん……」
「目が覚めましたか」
「み、宮田先生……!」
思わず名前は驚いた声を上げる。妙に宮田の声が近くに聞こえると思えば、宮田に背負われていた。
「あんなところで眠れるなんて、全く名前さんには感心しますよ」
「す、すみません……」
宮田の呆れたような声に、名前は何も言い返すことができない。
「あの……自分で歩けますから、下ろしてください」
「……良いですよ。疲れているんでしょう。このまま背負って行きます」
「……え、でも」
「寝惚けて転がり落ちないように、ちゃんと私に掴まっていてください」
この歳で人に背負われるなんて思ってもいなかった名前は何だか恥ずかしかったが、宮田はお構いなしによっこらせと名前を背負い直す。
「先生だって疲れているんですから、無理して背負わなくて良いです」
「遠慮しなくても良いですよ。これくらいで疲れていては医者の仕事は勤まりませんから」
しかし宮田は名前を背負っている後ろ手に爆薬の箱まで抱えている。
「でも……」
「良いから黙って掴まっていてください」
「……分かりました」
有無を言わさぬ宮田の言葉に、これ以上何か言うのも却って失礼だと思った名前はありがたく厚意に甘えることにした。
「……先生、何処に向かっているんですか?」
「村の水門に向かっています」
「水門?」
「ええ。そこを壊すのが私の目的です」
それ以上、宮田は何も話さなかった。
宮田は名前を背負いながらも常に周囲を警戒しているようで、名前も気を遣って話さずにいた。
緊迫した雰囲気に、背負われている名前は自分と宮田の鼓動を感じて何となくドキドキしていた。
そのとき、ふと名前の腹の虫が鳴った。グウウウと間抜けな音が静寂に鳴り響き、名前は顔が熱くなった。
そのときフフッと宮田の肩が揺れた。
「名前さんは本当、面白い」
クスクスと笑っている宮田に、名前は益々恥ずかしさを覚える。
さっきから居眠りしたり腹の虫が鳴ったり、生理的なものとはいえ自分は何をやっているのだろう。これでは宮田に呆れられてしまっても仕方がない。名前は自分の暢気さにほとほと落胆した。
「すみません、こんなときに……」
「どうして謝るんです?」
「……え?」
宮田から溜息を吐かれると思っていた名前は、宮田の声を聞いて顔を上げる。
「私は名前さんのそういうところ、好きですよ」
宮田からそんなことを言われると思っていなかった名前は、思わず呆然としてしまった。
「名前さんは心も体も素直ですから、こちらも肩肘を張らずにいられるんです」
「……先生、変な言い方しないでください!」
「私は本当のことを言っただけですよ。……さ、気が散りますから大人しく寝ていてください。そうすれば腹の虫も大人しくなるでしょう」
「……もう、先生ったら!」
宮田の言葉に、名前は口を尖らせる。
「からかわないでくださいよ!」
「居眠りしようが腹が鳴ろうが、そんなことで人を馬鹿にしたりする程、私は狭量な人間じゃありませんよ」
「私のこと一々言わないでください!」
そのまま言い合いを続けている内に疲れたのか、数分もすると再び名前は眠ってしまった。まるで子供のような彼女の態度に宮田は溜息を吐きつつも、その表情は穏やかだった。
「名前……君は、俺が護る」
背に掛かる名前の重み。自分に全てを委ねてくれていることに、宮田の心に一筋の想いが湧き起こる。
君はその存在だけで、俺に人間らしさを思い出させてくれる。
そして俺は、君のおかげで自分の使命を果たそうと思える。
俺は俺なりにこの村の呪いに抗ってみせる。
例えこの命と引き換えになっても。